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2009-04-19 東日本親善マラソン

419日に「東日本親善マラソン」に出場しました。



2009-03-22 東京マラソン2009

本日開催された「東京マラソン2009」に参加してきました!

3回目を迎えた東京マラソンは今年も大盛り上がりでした。東京の都心を貫くマラソンコースは3万人を超えるランナーや沿道を埋める観戦者で溢れかえっていました。今年も、芸能人、スポーツ選手、局アナなど豪華ゲストが数多く参加し大会に彩りを添えていました。

参加した皆様、本当にお疲れ様でした!! そして引退レースとなった、高岡さん、土佐さん長い間お疲れ様でした。感動をありがとう!! またどこかの路上で一緒に走りましょう!! 

僕は今回が初参加でしたがとても楽しめました。一部の部員を除いてほとんどすべての人に極秘で参加しました。途中苦しくて何度も歩いてしまいましたが、タレントの安田さんや金村さん、猫さんなどの走りからエネルギーをもらいました。本当にありがとう!!

最後に一言だけいわせてください。

Viva marathon!!


「銀座4丁目付近」

「日比谷通り付近」

2009-03-05 横濱競走倶楽部、中川氏が現役を引退

横濱競走倶楽部の中川会長はこのほど、現役を引退した。

27歳という若さでのランナー引退は極めて異例。

引退理由は体力と気力の限界ではなく、将来への漠然とした不安だという。同氏は昨年末に勤めていた会社を退社し、現在は無職。離職以来続けている2か月に及ぶ就職活動は不調だという。3/5現在、応募した求人数は数十社に上るがどの会社からも内定をもらえない状況が続いている。このような状況を重く見た同氏は、就職活動に専念するためランナー生活にピリオドを打った。

東京生まれ。27歳。転職回数4回。身長175センチ、体重60kg。自己最高記録は、ハーフマラソンが1時間45分、フルマラソンが4時間50分。

生涯成績は9戦0勝。通算引退回数は3回。現役復帰回数も3回。

 

中川会長の引退を受けて、横濱競走倶楽部は新人事を発表した。それによると新会長には須藤氏が就任し、代表には先月倶楽部を解雇されたばかりの川内氏の復帰が決定した。また副代表、顧問、相談役はすべて留任する。



2009-02-22 定例会を開催しました

定例会を開催し、4/19(日)開催の「東日本国際親善マラソン」への出場を決定しました。出場予定選手は、須藤代表、中川会長、川内元代表の3名です。

東日本国際親善マラソンに向けて、2/28(土)に合同トレーニングを開催します。内容は、LSDトレーニングを予定しています。鶴見川沿いをゆっくり時間をかけて走る予定です(90分間程度)。





2009-02-1 横濱競走倶楽部、神奈川マラソンに出場

横濱競走倶楽部は2/1(日)、神奈川県磯子で開催された「神奈川マラソン」に出場した。

同倶楽部からは代表の須藤選手、川内選手、会長の中川選手が参加した。

記録(ネットタイム)は、須藤代表が13121、中川会長が14650、川内代表が23700だった。

 

「コースの道幅が狭く、走りにくかった。コース内が人で埋め尽くされており、前へ行くにも行けない状況だった。行き違うランナーと肩がぶつかって痛かった。

レース内容にはおおむね満足している。目標としていた1時間半は切れなかったものの、ベストタイムを出せてよかった。余力があったのでコンディションさえ整えば1時間半は切れると思う」(須藤代表)

 

「大会前に須藤代表と行ったLSDLong Slow Distance)が効いた。ゆっくり長時間走る練習をしたことで、昨年10月に出場した『あつぎマラソン』よりもいいコンディションで臨めたと思う。今大会は起伏がないコースだったので脚にほとんど負荷がかからず、楽に完走出来た。もしかしたらフルマラソンを走った経験も活きたのかもしれない。レース前は、今大会で引退する気でいたが、もう少し現役を続けてみようと思う」(中川会長)

 

「いや、道中に人が倒れていて、それを助」(川内代表)

 

レース後の会見で、中川会長は川内代表の解雇処分を発表した。

一部から厳しすぎるとの声も上がったが、中川会長は川内氏の今後のことを考えて断腸の思いで解雇に踏み切った。会見の詳細は次の通り。

 

「このたびは『第3回川内君解雇記念パーティー』にご参加いただき誠にありがとうございます。先ほどプレス向け資料を配布しました。資料にあるとおり、今回のレース結果により当倶楽部の代表を務めておりました川内氏を解雇処分と致しました。一部から冷徹過ぎると批判の声が上がっていることは承知しております。私としましても長年走友としてやってきた川内君と別れるのは本当に心苦しく思っております。それは私だけでなく須藤君も同じ思いではないでしょうか。ただ今回の決断は正しかったと私は考えております。

皆様はどうお考えかわかりませんが私はたとえ市民レベルでもマラソンを走る限りは生活をなげうってでもトレーニングの時間を割き、自分を練磨しなければならないと思っております。そこに甘えの入る余地はありません。私は今回のマラソンに備え、昨年末に勤めていた会社を退職しました。職業を持っている限り、どこかに甘えが生まれてしまいます。私はサラリーマンで月給をもらい続けながらランナー生活を送ることに対してずっと後ろ暗い気持ちでいました。自ら退路を断つことで部員および市民ランナーの皆様に手本を見せようとしたのです。今回それが奏功しベストに近い記録を出せました。しかし残念ながらその気持ちは川内君には届きませんでした。非常に残念です…。ううう…(泣)。ぅぅぅ。うぐ、川…川…川内君とは今後一緒に走ることはあり…ありませ…ん…が、んが、かつ…て…一緒に・・走ったということは…私の誇りであり…また、横浜競走倶楽部の輝かしい歴史の1ページでもあります! 彼とは・・・・・・・・一緒に・・・・グアムに行ったり・・・競馬に行ったり・・・寿司、食ったり・・・・・・むぐ、むげげ…ぅぅっぅう(泣)・・楽しい思い出が、ありますますます・・・・うぅぅん・・・・今後もまたどっかであったら・・・・また前みたいに…一緒に…ううう…んぅ、むげぇ、一緒に…。ダメだもう何も言えねぇよ。

最後に川内君のこれからのご多幸を祈念して、エールを送ります。

フレー、フレー、カッワッウッチッ! フレッフレッ川内! フレッフレッ川内! イエーイ!!

がんばれ、川内君!!

2009-01-24 合同トレーニングを開催しました


合同トレーニングを開催しました。参加者は須藤代表と中川会長の2名。

1/12に行ったLSDトレーニングが非常に効果的だったため、今回も同じような練習をやりました。ただ今回は、前回のトレーニングに多少のアレンジを加えました。

FLSDという最新理論を取り入れ、速筋と遅筋の両方を鍛えました。

FLSDとはFutsalLong Slow Distanceの略称です。マラソン選手に必要な基礎的な持久力をLong Slow Distanceで、スパート時に必要なスピードをFutsalで鍛えるというものです。これは横濱競走倶楽部の中川会長が考案したトレーニングです。今後マラソントレーニングのスタンダードになるものと思われます。現在特許出願中であるといいます。また中川会長の著書『走る前に蹴れ!』でF& Long Slow Distance理論を詳しく解説しておりますので、ご興味のある方はamazonの奥地の書店に探しに行ってください。もし見つかったら横濱競走倶楽部のBBSにご一報を。


2009-01-12 合同トレーニングを開催しました


合同トレーニングを開催しました。参加者は須藤代表、中川会長の2名。

鶴見川沿いを2時間走りました。

今回は、LSDという最新式のトレーニング理論を取り入れました。

LSDとはLong Slow Distanceの略称です。スポーツ選手が体の基礎を作る時に行う長距離低負荷の運動のことで、心拍管理をしっかりして、いわゆる有酸素運動に当たる負荷で行うことで,疲れにくい体を作る練習方法です。決してLong Sprint Dashではありません。

最大心拍数の65%75%以下もしくはAT-10%に心拍数を保ちながら運動することで効果を発揮します(『はてなキーワード』より)。

トレーニング後、中川会長は「非常にいい練習ができた。神奈川マラソンでは1時間50分を切れると思う」と自信をのぞかせました。須藤代表は「この調子なら1時間32分はクリアできると思う」と力強いコメントを述べました。


2008-12-23 「第31回神奈川マラソン」について


l  日 時:2009年2月1日(日)雨天決行

l  会 場:日清オイリオグループ 横浜磯子事業所(横浜市磯子区・JR京浜東北線磯子駅前)

l  主催・運営:神奈川県走友会連盟

l  申込締切2008年12月25日()(消印有効)

l  出場確定選手: 須藤代表、中川会長

l  出場予定選手: 川内代表

l  不参加: 大園副代表(怪我のため)



2008-12-20 鍋パーティーを開催しました



2008-12-14 クリスマスパーティーを開催します

12/20()1900〜須藤代表の自宅にて「クリスマスパーティー2008〜走り負けて、冬〜」を開催します。

当日は、過去3年で4回(5回?)転職を経験した中川会長が「転職することについて語る時に僕の語ること」と題し、基調講演を行います。

また井谷相談役が、「フリーの技術者として働くことについて」、須藤代表が「私が南米生きを決めた本当の理由」、木下相談役が「もう、お茶買って来てなんて絶対に言わない」といったバラエティに富んだ講演・セミナーを開催します。

 

ディナーは、キムチ鍋を予定しています

倶楽部関係者の皆様はぜひご参加ください。

 

1214日現在、参加が確定しているのは次の4名です。

確定:須藤代表、井谷顧問、木下相談役、中川会長

未定:川内代表、大園副代表

 

2008-11-30 横濱競走倶楽部、河口湖マラソンに出場

横濱競走倶楽部(代表:須藤、川内 http://run.nigamushi.net/)の須藤代表、川内代表、大園副代表、中川会長の4選手は1130日、山梨県富士河口湖町で開催された「第33回 河口湖日刊スポーツマラソン」に出場し、好タイムで完走した。

今回が初めてのフルマラソン出場となった須藤代表、中川会長の完走タイムは、それぞれ3530644946だった。またファンランに出場した川内代表は11308、大園副代表は11421で完走した(記録はすべてネットタイム)。

参加者数は過去最大規模の12952人。アメリカ、台湾、スペイン、スウェーデン、ノルウェイなど海外からの一般ランナーも多数参加した。

毎年豪華なゲストが出場する同マラソン。今年は大会アドバイザーも務める、元五輪メダリストの有森裕子氏、北京五輪金メダリストのワンジル氏、「第2回モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション」で約4000人の中から選ばれた4人で結成された『メロン記念日』、グラビアアイドルの福永ちな氏、「CanCam」や「JJ」の専属モデルとして活躍している藤本恵理子氏、ネットアイドルで「アキバNO.1メイド」として人気の伊東芽衣ちゃんなど、多彩なゲストが大会に彩りを添えた。

11/29には前夜祭が開催され、豪華ゲストによるライブパフォーマンスやくじ引き大会などが行われた。

ライブパフォーマンスでは、医者兼ミュージシャンの福田六花氏、ハンドボール選手の宮崎大輔のマネジャーを務め、自身も歌手として活躍している中川あつお氏、伊東芽衣ちゃん、メロン記念日が舞台に立った。

大トリを務めたメロン記念のライブでは、興奮したファンが頭上で手拭いを振り回すなど会場が一時騒然となった。またライブ前のトークショーでは、司会者が会場のランナー兼メロン記念日ファンに対して「明日のレースでは、くれぐれもメロン記念日さんの周りを囲って走らないように」と警告した。これに対して、ファンの青年が横濱競走倶楽部の川内代表に「いや、むしろ囲ってなんぼでしょ、ふふふ」と喋りかける場面があった。横濱競走倶楽部の須藤、大園、中川の3選手は、この青年に対して薄気味の悪さを感じた。また同時に話しかけられた川内代表にも不信感を抱いた。

前夜祭終了後には、横濱競走倶楽部の投宿先である「ぽぷら」でビュッフェ形式の夕食会が行われた。会では、大園副代表がプレート2皿、ご飯2杯、ビーフシチュー、サラダ、スパゲッティ、アイス6玉を平らげるなど一人暴走した。また須藤代表が、アイス3玉を食した川内代表に対してなぜか猛烈な対抗心を燃やすなど、珍妙な緊張感が会場に漂った。

 

〜略〜

 

レース後の4選手の感想は次の通り。

 

須藤代表

25km地点までは順調で足の痛みもなく、好記録の予感がした。しかし30km地点で、左足首が痛みだした。腕を振って無理やり前進したが、徐々にふくらはぎにも痛みを感じだした。これがどんどん悪化してきた。どうやら、初マラソンということで未知の距離に入って、足が負荷に耐えられなくなったようだ。35kmを過ぎて「これはやばい」と思った。ほんとに体が動かなくなった。このあたりで、目標である3:45は無理だと悟った。それでも歩かないようにした。歩くようなペースになってしまっても、歩くことだけは避けたいと思った。このあたりで、「歩かずに完走する」という目標になった。

40kmあたりでは、「ここまで左足首に激痛があるなら歩いてもいいんじゃないか」という自問自答を繰り返していた。足がつる直前の状態だったが、なんとかこらえた。

そして3時間53分でゴール。過去2回の河口湖では全力でスパートをかけてゴールしたが、今回は無理だった。くやしい。

フルマラソンは、練習なしで勢いで記録が狙えるもんじゃない。

完全になめていた。

もし次フルマラソン出るなら、フルマラソンを走っても足が負荷に耐えられるくらいのトレーニングを積む必要があると思った。

中川には完勝した。今後もあのウスノロには負ける気がしない。もちろん、今度出場する神奈川マラソンでも負けない。あのボケには」

 

川内代表

「とにかく大園副代表には勝利した。大変喜ばしいことだ。なんといってもランナーとしてのキャリアが違う。こっちはベテラン、あっちは初心者。当然の結果だ。1分差でも勝利は勝利だ。経験と自力の差だね。レース展開に批判が集中してるって? 誰がそんななまっちょろいことをぬかしてやがるんだ。出て来いコラッ。ボケが。勝てばいいんだ。勝てば。残り1kmまで大園選手の後ろにぴったり付いて、最後に抜き去る作戦のどこがずるいんだ、この甘ちゃんがっ! 俺は勝負師なんだ! 作戦勝ちだっての。このボケが、まじ11なら誰にも負ける気がしねぇ」

 

大園副代表

「疲労とか痛み以前に、気持ち悪い。昨晩食いすぎた。レース中、少し戻しそうになった。レース当日の朝も、川内代表から『お前は受験生かっ!』と突っ込まれるほどキットカットを暴食してしまった。

今後、マラソンに出場するかどうかは掛かり付けのドクターに相談してから決めたい」

 

中川会長

「フルマラソンは過酷だった。30kmを過ぎてからは、給水ポイント毎に歩いてしまった。今までレース中歩いたことがなかっただけにとても悔しい。完敗だ」

 

 

レース後、井谷顧問が合流し横浜市内の「びっくりドンキー」で会食が行われた。席上、次回以降の参加レースについて話し合いが持たれ、20092月に開催される『神奈川マラソン』への出場が正式に決定した。すでに出場を表明していた須藤代表、川内代表、中川会長に加え、須藤、中川両氏の友人である武田氏のエントリーも発表された。また須藤代表、武田氏の小学校時代の学友である杉崎氏の参加も同時に発表された。(大園副代表は保留)。

2008-11-18 河口湖マラソンの案内状が届い


よ。

2008-11-14 合同トレーニングを開催します

明日谷本川沿いを走ります。

参加者は須藤代表、大園副代表、中川会長です。見かけたら声をかけてください。

2008-11-07 親睦会を開催します

 

明日、1600から町田で親睦会を開催します。

どしどしご参加ください。

中川

2008-11-02 横濱競走倶楽部、新役員を発表

横濱競走倶楽部は1日、臨時役員会を開催し下記のとおり役員変更を行った。

(※は新任)

 

※会長=中川

※代表=須藤

※代表=川内

※副代表=大園

 顧問=井谷

 相談役=木下

2008-10-28 中川が現役引退

横浜市青葉区及び緑区周辺におけるマラソンブームの火付け役となった中川(26)=横濱競走倶楽部=が28日、マネジメント会社を通じて現役引退を発表した。

体力、気力の限界を感じたことが理由だという。出場予定だった「2008日刊スポーツ河口湖マラソン」は欠場する。

中川は今月26日、あつぎマラソンで惨敗。その後、河口湖マラソン、神奈川マラソン、ボストンマラソン、プラハマラソンを連続して走ることを表明し、30日から強化合宿に入る予定となっていた。しかし気持ちを立て直すことができず、引退を決めたという。

横浜市出身。0勝7敗。

同日夕には、2000年シドニー五輪金メダリストで元世界記録保持者の高橋尚子(36)=ファイテン=が現役引退を表明。女子マラソンをけん引してきた高橋と市民レベルで高い業績を残した中川の引退により、日本マラソン界の一時代が幕を閉じた。

2008-10-26 あつぎマラソンに出場した

あつぎマラソンに出場した。結果はこんな感じ。

須藤 1時間41分ぐらい

小山 1時間55分ぐらい

中川 1時間56分ぐらい

2008-09-23 あつぎマラソンに出場します

代表の中川と副代表の須藤が、10/26(日)に開催される2008あつぎマラソンに出場します。
応援のほどよろしくお願いします。

2008-09-23 大園選手が入部しました


このたび川内元副代表の友人であり、全国的に名の知れたランナーでもある大園選手が横濱競走倶楽部に入部致しましたのでご報告申し上げます。

大園選手は、11月に開催される「河口湖マラソン」に出場予定です。

代表をはじめ部員一同、大園選手の入部を大変喜んでおります。また中川代表は、河口湖マラソンでの大園選手のランニングにも大いに期待していると述べています。

2008923日現在、河口湖マラソンへ出場を予定している横濱競走倶楽部(元)所属の選手は、次の4選手です。

中川代表(フルマラソン)

須藤副代表(フルマラソン)

川内元副代表(ファンラン)

大園選手(ファンラン)

2008-07-28 「河口湖日刊スポーツマラソン」に出場へ

横濱競走倶楽部はこのほど、中川代表と須藤強化部長が11/30に開催される「第33回河口湖日刊スポーツマラソン(http://nikkansports-marathon.com/)」に出場すると発表した。
両選手は2006年、2007年に続き3年連続の出場となる。過去2回は河口湖一週27kmの部に出場し、好タイムで完走を果たしている。今回はフルマラソンへの登録を予定しており、両選手にとってこれが初めてのフルマラソンとなる。

意気込みについて中川代表は「イージーだ」とだけ述べ、初マラソンへの自信をのぞかせた。須藤強化部長は「数日前から本格的なトレーニングを開始した。大会までの4ヶ月間、みっちりトレーニングを積むつもりだ」と、中川代表とは対照的に真面目に練習をして河口湖に望む考えを示した。

また須藤強化部長は、月に2回程度、部員全員参加の合同トレーニング(10km走)を開催するように中川代表に提案した。これについて中川代表は「やらない。疲れるから」と須藤案を即座に却下した。

今回の河口湖マラソンには、前年同様、アイドルグループの「メロン記念日」、元マラソンランナーの有森裕子氏などがゲスト出演する。またこの他、サプライズランナーとして、先日現役を引退した元横濱競走倶楽部・副代表の川内氏の電撃参戦が決まった。引退宣言から1ヶ月と経たないうちに現役復帰を果たすこととなった同選手は、「今回は、横浜競歩倶楽部の奴らとは一緒に参加しない。単独参戦だ。俺も中川と須藤と同じように過去2回、河口湖一週27kmを完走している。今回俺も新たなチャレンジをするつもりだ」と鬼の形相で大会にかける思いを語った。


横濱競走倶楽部は8/2に相模原市内において「第23回幹部会」を開催する予定となっている。


横濱競走倶楽部からの出場予定選手は下記の通り。

・ 中川代表 → フルマラソン
・ 須藤強化部長 → フルマラソン
・ 川内元副代表 →  ファンラン


2008-07-13 北軽井沢マラソン

「第24回北軽井沢マラソン」に出た。2時間10分で完走した。元横濱競走倶楽部副代表の川内君も出た。2時間50分で完走した。元仮入部員の小山君も出た。2時間半で完走した。
レース当日はマジ暑かった。いや、まじで。25度か26度あった。いや、まじだって(笑)。アップの段階で汗ダラダラ出た。降り注ぐ日差しがマジ不快だった。帽子、サングラス必携だった。でも持っていかなかった。当日小山君だけサングラスを購入。日差し対策にはなったが、レース後「変な日焼けした」とちょっと後悔していた。8:55、ハーフの部スタート。ハーフ参加者は1700人ぐらい、確か。前半が下り中心、後半が上り中心のコース。標高差は100m。アップダウンがすごいきついってわけじゃない。
暑い。日向と日陰の気温差がまじ激しい。給水ポイントは9箇所。多くてよい。水とスポンジ。夏のマラソンは給水が重要。毎回水分補給。頭、顔、脚に水を浴びるのがよい。折り返し地点。中川、小山、川内の順。
後半、さすがに足取り重い。暑い。
終盤、18キロ地点。上り急勾配。地獄。ほとんどのランナー歩く。俺、走る。ヘボランナーをごぼう抜き。坂の途中、俺、息切れ。調子に乗りすぎた。俺もヘボランナー。ランナー生活で初めて「歩こうかしら」と思った。だけど歩かなかった。やっぱ、ランナーは歩いちゃダメ。坂を上りきって一安心、できず。上り坂でエナジー消耗。残り3km死ぬ気で走った。最後の給水で頭から水を浴びた。残り1キロ、気力を振り絞って猛ダッシュ。ヘボランナーをごぼう抜き。500mダッシュ後、息切れ、俺もヘボランナー。マジ暑い。最後の100mは猛ダッシュ。2時間10分でフィニッシュ。今回も、一度も歩かなかった。

レース後、車に乗って千ヶ滝温泉へ。車中、2選手が引退を表明。
レース前、「今回のレースで手ごたえをつかめなかったら引退する」と宣言していた小山君がランナー引退を表明。27歳だった。「3人の中で最下位の人が強制引退」という取り決めにより、川内君も引退を表明。
11月に開催される「河口湖マラソン」には、中川代表、須藤副代表兼強化部長の2名で参加予定。

2008-07-01 北軽井沢マラソンについて


謹啓

梅雨の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は格別のお引き立てを賜り、ありがたく厚く御礼申し上げます。また部員及び元部員の畜生どもにおかれましては倶楽部運営においてなんら積極的な助力もせずにのんべんだらりと過ごしトレーニングもほとんどしないで暴飲暴食、夜更かしの毎日を送っておられるということで全くいいご身分ですね。呆れてものがいえません。

さて、第24回北軽井沢マラソンまであと2週間となり、参加選手の皆様におかれましては万全のコンディションでレースに臨むべく体調管理にいっそうの注意を払っていることと思います。また当倶楽部の元部員である犬畜生どもにおいても、ユーロ2008が閉幕したということでそろそろ平常の生活スタイルに戻すべきではないかと馬の耳に念仏とは思いますがアドバイスしてやります。

過去に北軽井沢マラソンに出場した方々が書いたMixi日記やブログなどを閲覧したところ、北軽井沢マラソンは避暑地での開催であるとはいうものの、7月中旬のレースということでやはり気候面で相当ハードなものであるらしいことがわかりましたので畜生どもに報告しておきます。

このようなレースにおいては何よりも暑熱対策が重要です。当日のコスチュームはパンツ一丁で走るぐらいの心意気がほしいところです。また公序良俗の観点からパンツ一枚での参加は難しいとお考えの方は、半そでシャツ、短パン、帽子、ノーソックスでレースに参加するのが良いでしょう。

コースに関しては、起伏や給水ポイントなど詳細な情報が入手できていないというのが現状です。元部員の下司野郎どもにおいては、インターネットで情報を収集するなど少しは努力してください。有益な情報を入手したら逐一私に報告してください。しろ。

それではランナーの皆さん、レース本番は自分の持っている力を存分に発揮し正々堂々と戦いましょう。

                                                 謹白

2008-06-28 第24回北軽井沢マラソン、参加通知書届く

7/13に開催される北軽井沢マラソンの参加通知書が届きました。

2008-06-21 横濱競走倶楽部、定例総会を開催

横濱競走倶楽部は21日、横浜市港北区のサイゼリアにおいて第7回定例総会を開催した。

総会には、来月13日に群馬県長野原町で開催される「第24回北軽井沢マラソン」に出場予定の中川代表と元副代表の川内氏、同じく元仮入部メンバーの小山氏が参加した。

この日上程された議案は賛成多数ですべて承認された。

第1号議案「北軽井沢マラソンの件」では、@12日の7:00に横浜を出発、A10:00軽井沢着、B宿にチェックイン、C大会受付、D昼食、Eアウトレットでショッピング(バッシュ、スポーツシャツなど)、Fアウトレットで前夜祭、というスケジュールが決まった。

第2号議案「車中での過ごし方の件」では、北軽井沢及び河口湖など地方へのマラソン遠征の際、現地に向かう車中では、睡眠をとってはならないことが確認された。これは長時間の運転を行っているものに対する最低限のマナーである。後部座席に座るものは特に気をつけること(※1、※2)。
※1:これまでの遠征では、ほとんどの場合中川代表が後部座席に乗っていた。このことから同議案は、中川代表に対する非難を込めて発案されたものと推測できる。
※2:中川代表は後部座席でよく寝る。

第3号議案「2008年下半期スケジュールの件」では、11月下旬開催の「河口湖日刊スポーツマラソン」への出場が決定した。現在、参加が決定している選手は、中川代表、須藤副代表兼強化本部長、川内元副代表、武田選手(入部予定)の4名となっている。

総会後、場所をWINS新横浜に移して親睦会が行われた。川内元副代表が阪神10R「ストークステークス」を見事的中させるといったハプニングがあったものの、それ以外は和やかな雰囲気で歓談が行われた。

2008-02-15 横濱競走倶楽部、2選手を解雇

横濱競走倶楽部は15日、川内選手(副代表)と小山選手(仮入部期間中)を解雇処分とした。

 

横浜市内のドトールで行われた記者会見で同倶楽部の中川代表は、解雇処分の理由を、両選手の倶楽部に対する背信行為と説明した。
背信行為が判明したのは先月20日に行われた「第12回東日本国際親善マラソン」のレース前、大会に参加した中川、須藤、川内、小山、伊藤(ゲストランナー)が車座になってストレッチをしているときのこと。受付時に配布された参加者一覧表を見ていた小山選手が、川内選手の所属チームが「横浜競歩倶楽部」となっていることを指摘。これについて川内選手は、インターネットから大会にエントリーするときに所属チーム名を入力し間違えたと、故意ではないことを強調した。しかし須藤強化部長は「競走」と「競歩」を打ち間違えるだろうかと疑義を呈した。このやり取りを見ていた伊藤選手、小山選手、中川代表は所属チーム名の誤入力問題など瑣末なことだといった様子で川内選手と須藤選手の小競り合いを苦笑混じりに傍観していた。しかし中川代表の内心は、はらわたが煮えくり返るような思いだった。以下、会見における中川代表のコメント。

 

「私は、須藤強化部長が指摘したように「競走」と「競歩」を打ち間違えることなどありえないと考えている。もし打ち間違えたとしても直ぐに気がつくはずだ。それに気がつかないようなら副代表失格だ。また「競走」「競歩」問題よりもさらに深刻なのは「横浜」のほうだ。正しくは「横濱」だ。横濱の方が視覚的にスタイリッシュだ。
大体において自分が副代表を務めている倶楽部の名称を間違えるなどといったことが単なる不注意から起こり得るだろうか。所属チーム名を間違えるということは自分の名字を間違えるのと一緒ではないか。故意に人の名前を間違えるなど人の顔に唾を吐きかけるようなものではないか。
もし私がそのような失態を犯したら即刻代表の座を返上し、場合によってはシューズを脱ぐことも考えるだろう。
常識的見地に立って考えてみれば直ぐ分かることだが、今回の件は明確な悪意がなければ起こり得ないことである。なぜ川内選手は「横濱競走倶楽部」とするべきところを悪意を持って意図的に「横浜競歩倶楽部」としたのか。私は川内選手とはもう5年以上の付き合いがあり、彼の考え方や趣味志向、乗っている車の車種、好きな異性のタイプ(ショコタン)、好きなお菓子(暴君ハバネロ)などおよそ彼のことで知らないことはないといえる。だから今回の彼の行動の裏にある真意も瞬時に読み取った。また私が川内選手の真意を読み取ることを川内選手は事前に見越していたと思われる。川内選手は所属チーム名を誤入力することで私に対して「横濱競走倶楽部を辞めたい」と主張したのである。私以外のメンバーはその主張を汲み取れなかったようだが私はあの場で彼の気持ちを受け止め、心の中で彼と歩んだマラソン人生を振り返り、「残念だけど仕方ない」と断腸の思いで彼の独り立ちを了承し、だから同時に彼と袂を分かった。

またこのときに横浜競走倶楽部への背信が明るみに出たのは川内選手だけでなかった。小山選手もまた横濱競争倶楽部に対して「NO」を突きつけた選手の一人だ。小山選手は仮入部の身ではあるが、横浜競走倶楽部の歴きとしたメンバーだ。それは彼も重々承知しているはずである。それにもかかわらず彼は大会エントリー時、所属倶楽部を横浜競争クラブと書き込まず、ブランクのままにしたのである。流石に倶楽部の名称をわざと間違えるような暴挙にはでなかったが、だからといって小山選手の行為を許すわけには行かない」

今後、横濱競歩倶楽部は、中川代表以下、代表代行に須藤氏(強化部長兼任)、相談役に木下氏、顧問に井谷氏の計4名でやっていくことになると発表。
次回以降の参加レースについては、7月13日に開催される「北軽井沢マラソン」に出場を予定している。

 

 

なお、川内氏は年内をめどに「横浜競歩倶楽部」の設立を目指す考えであるという。

2008-02-13 横濱競走倶楽部、東日本国際親善マラソンに出場

4月20日に「第12回東日本国際親善マラソン」を走った。

横濱競走倶楽部からは中川代表、川内副代表、須藤強化部長、小山選手(仮入部)、伊藤選手(ゲストランナー)が出場した。記録は次の通り。

須藤選手=1時間50分ぐらい

中川選手=2時間5分ぐらい

小山選手=2時間20分ぐらい

川内選手=2時間25分ぐらい

伊藤選手=2時間40分ぐらい

2008-02-24 事務局、大いに詫びる

拝啓

梅花の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は格別のお引き立てをいただき、厚く御礼申し上げます。

さて、先日の神奈川マラソンは雪のため残念ながら中止という結果に終わってしまい、部員の皆様をはじめ参加を予定していたランナー諸氏も大変心落ちしたことでしょうが、その後いかがお過ごしですか? 私は元気です。

神奈川マラソンにおいては、公式のHPもなく、事務局への緊急連絡もできず、今回のように大会中止が事前にアナウンスされないということが、ランナーの皆様を大変不愉快にさせたと風の噂で聞きましたが、いかがお過ごしですか? 私は元気です。

大会当日は未明からの降雪により、路上には雪が積もり常識的に考えて大会の開催はありえないものと判断できました。しかしながら参加を予定していたランナー諸氏においては、参加料3,500円をすでに払っていること、中止時にはそれが返金されないことなどに加え、この日のために過酷なトレーニングを積んできたことなどを考えると、例え積雪があろうとも大会開催の可能性がゼロではない限り一縷の望みを抱き、会場に参集してしまうというのが、ランナーの真情ではないでしょうか。私どもの倶楽部に置かれましても参加予定者4名のうち、遠方に住んでいる副代表以外(「遠方」というと副代表は、田舎じゃねぇよと立腹しますが)の部員は1000までには会場に到着していました。会場には大会開催を望んでいたランナーやあるいはただ単に参加記念Tシャツを受け取りにきた人あるいはゲストとして参加予定だった名ランナーのサインをもらいに来た人たちなどでごった返していました。来場の目的が何であれランナーたちは降雪の中遠路はるばる磯子くんだりまで駆けつけたということには変わりありません。ほとんどすべてのランナーは会場に入って初めて大会の中止を聞くわけですが、ランナーの顔を仔細に観察していた私は、皆の表情が一様に絶望感に打ちひしがれているのを見て取りました。中には地方からこの大会のために上京してきた人たちもいたでしょう。そのような人たちは前日入りし大会に備えていたことでしょうし、その人たちのことを考えると私の心はとても痛みます。

しかしながら降雪での大会中止となれば誰が悪いといえるわけではありません。ただ、だからといって今大会の主催者の不手際が無罪放免になるわけではありませんし、ランナーたちを傷つけたという事実を受け止め真摯に反省していただきたく思いますが、その後どうですか? 私は元気です。

会場に駆けつけたランナーは、3,500円の参加記念Tシャツをもらったところで納得するわけもなりません。マラソンに投入すべくためていたパワーのはけ口を見つけられず、名ランナーのいるディアドラブースに寒中のなか列をなしてサイン待ちするという暴挙に出た人たちの気持ちもランナーの私としては分からなくもない、ととりあえずいえなくもないです。

また当日配られた物品の中にはTシャツだけでなく、健康飲料やミニアメリカンドッグに加え後援者である日清オイリオ社製の健康食用油などもありました。ただこのような物品はたしかにちょっとだけありがたいのですが、それでもランナーの気持ちを落ち着かせるものでは到底ありません。むしろ怒りに燃えたぎったランナーの心を逆撫でしたのではないでしょうか。まさに火に油を注ぐようなものなのではないでしょうか。なんてね。

ともあれ、今回の中止により鬱積した感情は次回4/20開催の東日本国際親善マラソンで大いに発散しようではないかと部員の皆様には発破を掛けたいと思います。

長々と書いてしまって申し訳ございませんでしたけど、いかがお過ごしですか? 私は元気です。

 

追伸 下記に神奈川県総走友連盟のHPに載っていたコメントを転載いたします。

敬具


2008.02.04

参加者各位

30回神奈川マラソン組織委員会

TEL&FAX  045-243-3970 

参加記念Tシャツ・プログラム発送について

 

  この度は、各位には大会中止の件で大変、ご迷惑をお掛けしました事をお詫び申し上げます。

  今回の中止・開催のご連絡に不手際があり申し訳ございません。

 

  掲題の件、ただいま当事務局において、欠場の皆様のデータを作成し随時、各位に発送の手続きを致しております。

  降雪にも関わらず、ご来場の参加者にはお渡し出来たのですが、欠場の参加者が、かなりの人数になりますので、早急な手続きを致しておりますが各位には、いましばらくご猶予を頂けますようお願い申し上げます。

 

2008-02-10 横濱競走倶楽部、第30回神奈川マラソンに出場

横濱競走倶楽部の中川代表、川内副代表、須藤強化部長、小山選手(仮入部)は、2/3に開催された、「第30回神奈川マラソン」(主催/運営:神奈川県総融解連盟、神奈川新聞社)に参加し、川内副代表以外の3選手は見事、参加賞のTシャツ、食用油(日清オイリオ社製品)、ジュースなどを獲得した。また中川、須藤両選手は、「東京ガス」のブースで提供されていたミニアメリカンドックも食すなど好成績をおさめた。

 

大会当日は、900からボルディン氏(バルセロナオリンピック・マラソン金メダル)のトークショー、925からエアロビクスなどの各種イベントが予定されていたが、降雪のため1000に会場入りをした3選手(川内選手は自宅待機)はボルディン氏がトークショーを行ったかどうかは確認できず、またエアロビクスについても行われたかどうかは分からないが、代表の中川選手は「そんなことはどうでもいい」と述べるなど、今回の降雪に対して心底辟易しているといった様子だった。

 

大会会場では、雪の中、参加賞のTシャツなどを受け取り、そのまま沈うつな表情を浮かべながら帰路につくといった選手が多く見られた。また横濱競走倶楽部の3選手も同様に、今回の悪天候に対して大いに残念がり、マラソン初出場となるはずだった小山選手は落胆した表情を見せ、「とりあえず横浜で飯でも食うか」というなど自暴自棄な態度に出た。それに対して須藤、中川両選手は「そうしよう」と述べた。

 

横浜では、ゲームセンターでクイズゲームに興じ、洋食店でシチュー、グラタン、ピラフなどを食すなど充実した時をすごした。洋食店では、勢い余った中川、小山両選手が、4月に参加する予定となっている東日本国際親善マラソンで負けた方がボウズ頭になることを決めた。

 

会食ではこの他、「東日本親善マラソン(4/20開催)」の前にハーフマラソンを一レース走る方向で調整を行うことなどが決められた。

 

なお、この日行われる予定だった神奈川マラソンは悪天候のため中止となった。

2008-01-29 2008年間スケジュール

今年のスケジュールは下記のとおりです。よろしくお願いします。

2/3(日)神奈川マラソン(ハーフ)

4/20(日)第12回東日本国際親善マラソン(ハーフ)

7/8(日)第23回北軽井沢マラソン(ハーフ)

11月下旬 第33回河口湖日刊スポーツマラソン(フルマラソン)

2008-01-20 横濱競走倶楽部、合同トレーニング行う

横濱競走倶楽部は19日、横浜市内のスポーツセンターでマシーンなどを使ったトレーニングを行った。

トレーニングでは、上半身の筋力強化、ランニングマシーンでの持久力強化を主に行った。また須藤、小山選手はジム内でのトレーニングに加えて、体育館でフットサルも行うなどハードなトレーニング内容をこなした。練習の合間には、ボディービルダーが愛読する雑誌を2人で微笑しながら読み込むといった淫靡な場面も見られた。

場所を移して行われたミーティングには、中川代表、川内副代表が忙しい中駆けつけて、トレーニングを終えた両選手を労った。ハードなトレーニングを終えた選手達は、練習に参加しなかった代表、副代表に「なぜ参加しなかった」と詰問し、それに対して中川氏は「だるかった」と答えた。川内氏ははっきりと答えず、「今日の競馬では1万円勝った」と言うに留めた。

会の冒頭から、代表・副代表と強化部長・仮入部部員の間に不穏な空気が漂ったが、話題が2週間後の「神奈川マラソン」に移ると場の雰囲気が一変し、4人のランナーたちは侃侃諤諤意見を戦わせた。

その中で新入部員の小山氏は、仮入部の身でありながら代表に挑戦状を叩きつけた。「もし俺が中川に勝ったら、お前はランナーを引退しろ、ボケ。そのかわり、俺が2時間以内に完走できなかったら、俺が辞めたるわ、ボケ」。中川代表はそれに対して「分かったわこのボケが」と挑戦を受けた。

「神奈川マラソン」では、須藤強化部長が1時間30分、中川代表が1時間35分、川内副代表と小山選手が2時間以内を目標に完走することを決めた。

その他、大会当日の服装、食事、アップ等に加え、次回以降の参加レースについても話し合いがもたれた。それによると、2/3の神奈川マラソンの次は、4月にハーフマラソンを1レース、7月に北軽井沢ハーフマラソンを走り、その後11月には河口湖でフルマラソンに参加する方向で、スケジュール調整を行うことが決まった。

2007-12-18 横濱競走倶楽部、小山氏が仮入部

横濱競走倶楽部はこのほど、新メンバー(仮入部)として小山選手が加入したと発表した。
小山選手は26歳の会社員で、中川、須藤両選手の友人。今まで、マラソン(ハーフを含む)への出場は一度もないが、このたび一念発起し、同倶楽部への仮入部及び「第30回神奈川マラソン(200823日開催)」の出場を決めた。
同選手は自身のブログで、「おそらく、待ってるのは想像を遥かに越えた苦痛だ。身体は変調をきたし、勇む精神を蝕み、俺はゴールするまでに何度も果てるだろう」とマラソン出場への意気込みを、悲壮感の漂う言葉で語った。
また小山選手は倶楽部関係者のA氏に、「川内氏とは面識はないが、彼のレース結果や言動は逐一チェックしていた。彼のことは非常に意識している」と語った。それに対してA氏は小山選手に「実は川内選手もたびたび小山氏の名前を口にしていた」と話し、2人がそれぞれまったく面識がないにもかかわらず、なぜかライバル視していることが判明した。
同倶楽部ではレース前に、「神奈川マラソン」の対策を話し合うために、ミーティングを開く予定となっている。さらに現在、中川、須藤、小山選手の友人である武田氏などに対しても同倶楽部への入部を勧めている。

2007-12-17 横濱競走倶楽部、第30回神奈川マラソンに出場

横濱競走倶楽部の3選手(中川、川内、須藤)が下記の大会に参加します。応援のほどよろしくお願いいたします。

大会名=第30回神奈川マラソン
日 時=2008年2月3日(日)雨天決行
会 場日清オイリオグループ 横浜磯子事業場(横浜市磯子区・JR京浜東北線磯子駅前)
主催・運営=神奈川県走友会連盟   神奈川新聞社
種目=ハーフ
参加賞=Tシャツ
大会HPhttp://www.kanagawamarathon.jp

2007-11-28 横濱競走倶楽部、中川氏がバーンアウト

横濱競走倶楽部の中川代表が、先日行われた河口湖日刊スポーツマラソン出場後、燃え尽き症候群(バーンアウト・シンドローム)になっていることがわかりました。現在は自宅で療養中です。このためマラソントレーニング、就職活動などが全く行えない状態です。関係者の皆様にはご心配をお掛けいたしまして誠に申し訳ございません。回復次第本人からコメントを出す予定となっております。どうぞよろしくお願いいたします。

管理人

2007-11-26 横濱競走倶楽部、「河口湖日刊スポーツマラソン」に出場

第32回河口湖日刊スポーツマラソン(主催:日刊スポーツ新聞社、富士河口湖町他)が11月25日(日)、山梨県富士河口湖町で開催され、横濱競走倶楽部からは中川、川内、須藤の3選手が出場し、見事全選手が完走を果たした(3選手とも河口湖1周27kmに参加)。

今回の参加者数は全種目合計11033名。河口湖畔を彩る紅葉と富士山を一望できるコースが国際的に評判を呼び、近年では海外からの参加者も増加している。海外の参加者数は不明。

また大会に彩りを添えるゲストには、東京国際女子マラソン(1991年)金メダリストの谷川真理氏、テレビ・ラジオ・雑誌などで活躍しているマルチタレントの川村ひかる氏、外科医兼ミュージシャンで河口湖在住の福田六花氏、バラエティ・グラビアなどでおなじみの福永ちな氏、1999年に行われた「第2回モーニング娘&平家みちよ妹分オーディション」で約4000名の中から選ばれた4人組アイドルグループ「メロン記念日」さんなどが参加し、前夜祭・開会式を盛り上げた。

大会当日の天候は晴れ(6:30現在の気温は-1.7℃、湿度は92%)。

7:15に開会式が行われ、開会の挨拶、ゲストの紹介などが行われた。ゲストの挨拶では谷川氏が「普段の力を出せばいい結果がえられると思います」とランナーを激励した。谷川氏に続きメロン記念日さん、川村氏、福永氏の挨拶が行われた。福永氏の紹介時には司会担当者が「ここにおられるおじさまがたはワンカップ(お酒)がお好きだと思いますが、次に紹介する方はGカップです」と朝から破廉恥な言葉が飛び出すなど、一部不適切な進行が行われた。しかしそれ以外は滞りなく進行が行われ、定刻の7:30にスタート合図が打ち鳴らされた。

先頭よりもかなり後方に待機していた横濱競走倶楽部の3選手は、スタートの合図から遅れること15分後にスタートラインを超えることになった。その間、副代表の川内選手が「中川翔子、中川翔子」と意味不明な言葉を呟き、それに対して中川代表は無言でいた。しかし中川氏は「川内君に『しょっこしょこにしてやんよ!!!』って知ってる? と聞きたかったがタイミングを逸した」とレース後のインタビューで告白した。

スタート直後こそは、須藤・中川両選手が並走していたが、前年同様すぐに須藤選手が飛び出し、そのまま独走した。フィニッシュタイムは2時間17分25秒(ネットタイム)で自己最高記録を更新した。中川選手は前回とほぼ同様のタイム2時間40分43秒(同)、川内選手は前回を下回る3時間31分27秒(同)でそれぞれゴールした。

3選手のコメントは以下の通り。

須藤選手

「前レース(10/28あつぎマラソン)ではエネルギー切れを起こしてしまったので、今回はその反省を踏まえてレース前になるべく多くのカロリーを摂取した。レース前夜には宿で出された夕食をしっかりと食べ、就寝前にはポテトチップスを1袋食べ、当日の朝にもきちんと食事を摂った。それがいい結果につながったと思う。また気温も自分にとってはちょうどよかった。レース内容に関しては、最初の10kmを1時間も掛けてしまい、このままではいい記録が出ないと思ったので、次の10kmを45分、残りの7kmを35分で走った。レース後半になってもまったく疲れを感じなかった。今回は今までで最もコンディションが良かった。これならばフルマラソンも完走できると思う」

川内選手

「今回は20km地点(前回は15km地点)で脚がつった。もう脚全体がボロボロだ。これはウェイトオーバーが原因だと思う。足腰に負荷がかかりすぎている。大体私の体重が73kgなのに比べて、須藤氏が57kg、中川氏が61kgと明らかに差があり過ぎる。これはアンフェアだ。スポーツマンシップに反すると思う」

中川選手

「(川内氏に向かって)解雇です」

打ち上げは、海老名のとんかつ屋で行われた。中川代表は、倶楽部規定の第3章第4条第1項(『すべて部員は、日々のマラソントレーニングおよび生活習慣により自己を律し、より良い生活を営むことを追求すべし。またその結果として、大会参加時には必ず自己最高記録を出さなくてはならない。もしそれが達成できない場合は倶楽部在籍資格を剥奪される』)に則り川内副代表を解雇処分としようとしたが、川内氏が「減量します」と宣言したため、同規定の第3章第4条第2項(『ただし、1ヶ月に1kgの減量を行うものに対しては引き続き倶楽部に在籍する資格を与える』)により今後もこの体制で活動を行っていくこととなった。

打ち上げではこの他、来年秋以降のフルマラソン挑戦などについての意見が交わされた。

なお、次回参加レースとしては2/3開催の「青梅マラソン(距離:30km)」などが候補に上がっている。

2007-11-10 「決起集会」を開催しました

横浜の中華料理屋で「決起集会」を開催しました。

注文したすべての料理を、中川代表、川内副代表、須藤強化部長、木下相談役の4名で完食しました。

2007-11-04 11月10日に「決起集会」を開催します

11月10日(土)19時から、横浜駅周辺の飲食店において、「決起集会」を開催します。
11月25日(日)に開催される「第32回河口湖日刊スポーツスポーツマラソン」に向けて、須藤強化部長が「河口湖マラソンの傾向と対策」、川内副代表が「データで見るジャパンカップ―今年来るのはこの馬だ!」と題し講演を行います。
ご家族・ご友人をお誘いあわせの上、ご参加くださいますようお願い申し上げます。
参加費無料(実費)。

2007-11-03 横濱競走倶楽部、中川氏インタビュー

1028日(日)に行われた「2007あつぎマラソン(ハーフ)」を1時間45分という自己最高タイムで完走した横濱競走倶楽部の中川代表に、レース後初めてとなる単独インタビューを行った。同氏にあつぎマラソンを振り返ってもらうとともに、横濱競走倶楽部及び同氏の現況と今後の展望を聞いた。

―あつぎマラソンの完走おめでとうございます。

中川 ありがとうございます。

―タイムも1時間4457秒という自己最高記録を更新しましたね。要因は何だったのですか。

中川 要因は2つあります。1つ目は、過去2レース(2006-11河口湖、2007-03三浦)に比べて、質・量ともに十分な練習を積んでレースに臨めたことです。河口湖のときは、20068月に練習を始めて、9月までは週2,3回のペースで早朝の荒川沿いを走っていたのですが、10月、11月はほとんど練習を行わず、そのまま本番を迎えてしまいました。

―なぜ、10月、11月と本番前なのに練習をしなかったのですか。

中川 朝の冷え込みが厳しくなってきたからです。

―なるほど。

中川 また三浦の時は、ジムでのトレーニングを開始したのがレース1ヶ月前からだったため、練習量が足りなかったですね。

―なぜ、もっと前から練習を開始しなかったのですか。

中川 理由は特にありません。

―なるほど。

中川 ただ今回のあつぎに関しては、三浦マラソンが終わってからも、週2,3回のペースで近くのスポーツジムに通い続け、厳しいトレーニングを継続しました。

―というと2月から10月まで9ヶ月間連続でジムに通い続けたわけですか。

中川 そうです。非常にいいトレーニングを行えました。

―2つ目の要因は。

中川 勤め先を辞職し、レースに集中できたことです。

―仕事はいつ頃お辞めになったのですか。

中川 10月中旬です。レース1週間前でしたので、それから1週間は極秘トレーニングを積み、完璧なフィジカルコンディションであつぎに乗り込みました。

―山ごもりでもしたのですか。

中川 いや、家にこもっていました。

―引きこもりですか。

中川 そうです。心身ともにリフレッシュできました。

―なるほど。それにしても、勤め先を辞めるというのはとても大きな決断を要したのではないですか。

中川 まさにそのとおりです。
通常、ランナーというのは、プロ、セミプロ、市民と3つのタイプに分けられます。プロランナーは、スポンサーからの資金援助及び賞金で身を立てます。五輪などで優勝したランナーは、CM出演料が数千万円にも上るといわれています。また五輪金メダリストが、五輪後に招待選手として、ボストンやニューヨークシティマラソンなどに出場した場合、そのギャラは億単位だと聞いています。だいたいの場合、大きな大会で優勝し、スポンサー獲得のめどが付いた時点で始めてプロへの転向を決断します。しかしスポンサーが付いたからといって安泰というわけではありません。スポンサーに資金を援助してもらうということは色々なしがらみが生まれるということです。ある選手は、サングラスメーカーとスポンサー契約を結んでいたのが理由で、雨の中のレースでもサングラスをはずすことができないなど、時としてレースの妨げになるケースもあります。またサッカーのロベール・ピレス選手は、シャンプーなどを生産・販売している化粧品メーカーと契約していたので、短髪にしたくてもできなかったとあるインタビューで話していたことがあります。まあロベール・ピレス選手の話はマラソンとは一切関係がないのですが。
次にセミプロというのは、いわゆる実業団に所属している選手たちです。資生堂や三井住友海上などが有名ですね。彼/彼女らは、昼間は所属企業で通常業務を行います。そして終業後にトレーニングを行います。実業団では、有能な監督・コーチの指導の下、同じ目標を持った仲間と練習を積めることがメリットです。もちろん、所属企業から給与ももらえるので、経済的な安定も得られます。まだ陸上のプロ選手が多くない日本においては、実業団所属の選手が大部分を占めます。今後はもしかしたらアマチュアからプロへの転向が今以上に増えていくかもしれないと、ある専門誌の記者が言っていました。いや言っていたかどうかは分かりませんが、きっと誰かは言っていたでしょう。
最後に市民ランナーですが、公平に言って、私たち市民ランナーこそが本当のランナーだと私は胸を張って述べさせていただきます。市民ランナーは、普段は各々の勤め先で働いています。官公庁や民間企業など働き先は千差万別です。また作家、タレント、自営業者、フリーター、無職など様々な人々が市民ランナーとして日々世界中の路上を疾走しています。市民ランナーは過酷です。強い意志がなくては市民ランナーとしてやっていくことは困難でしょう。市民ランナーにはスポンサーがついていません。また実業団のように、練習環境も整っていません。企業からのサポートもありません。実業団所属選手なら、例えば、来月重要なレースがあるから1ヶ月休みを下さい、といえばあるいは企業側はそれを許すかもしれません。しかし市民ランナーはそれができません。来月河口湖日刊スポーツマラソン(ファンラン11km)があり明日から集中強化合宿を行うので休みを下さい、と上司にいえる勤め人がいったいこの広い世界に何人いるでしょう。それほど、市民ランナーはシビアな中で走っているのです。私たちは、通勤前、昼休み、終業後など時間を見つけて孤独にトレーニングを行います。――まあ私は現在無職の身ですが。大半のランナーは誰にほめられることもなく、莫大な報酬を期待することもなく、ただ己に打ち勝つためだけに走っています。それにくらべて、プロ、セミプロの人たちはどうでしょう。彼/彼女の置かれている状況がどれだけ過酷だというのでしょう。なるほど、彼/彼女と私たち市民ランナーとは目指すものが違うと言われるのですね。彼/彼女たちは五輪や世界陸上で金メダルを獲得するために、常人には決して経験し得ない厳しい環境に身をおき甚大なプレッシャーと戦いながら限界を超えたトレーニングを積んでいる、そうおっしゃるのですね。しかし彼/彼女は非常に安定した環境で練習を行っているという点は、紛れもない事実です。整備された練習環境、有能な監督、コーチ、最先端のスポーツ科学を取り入れた練習メニュー、安定した収入、何もかも恵まれすぎています。確かに彼/彼女は、大きな大会でメダルを取るために、ある種特権的な立場にいる選ばれし選手たちといえるでしょう。ただ、私は彼/彼女らに言いたい。声を大にして言いたい、お金ですか、と。お金や名誉のために走っているのですか、走ることそれ自体が楽しかった日々を、あなた方はお忘れになってしまったのですかと。大体、プロ選手に転向して成功した選手が、日本にいますか。いないでしょう、マラソン選手にしろ、ハードル選手にしろプロ選手になったとたん、記録も伸びず、大会で勝つこともできなくなったでしょう。彼らは悪魔に魂を売ったのですよ。走ることを金儲けの手段にしたんですよ。これは何もプロ、セミプロに限った話ではありません。大部分の市民ランナー、つまり会社勤めをしている人たちのことですが、彼らは一体何を勘違いしているのでしょうか。昼間会社で働いて、その合間を縫って練習をするなど、甘ったれているにもほどがあるでしょう。先ほど私は、通勤前、終業後に時間を見つけて練習に励んでいる市民ランナーをほめましたが、それは実は嘘です。彼らはやはり舐めています。マラソンを舐めています。片手間でできるものではないのです、マラソンは。
このように、現在の日本のマラソン界はほとんど壊滅状態にあるといえるでしょう、スポンサーに主導権を握られたプロ選手、実業団というぬるま湯に浸かって安穏としているセミプロ選手、昼間働いている勤め人の市民ランナー、どの選手もマラソンを冒涜しているといえるでしょう。その点、無職ながらもランナーとして走り続けている私はどうでしょう。私は、プロでもなく、セミプロでもなく、一般的な市民ランナーでもない、第4のランナー、「無職ランナー」です。私こそが真のランナーといえるのではないですか、中川こそが真のランナーです。私は日本マラソン界最後の砦としてこれらも頑張っていく所存です。

―なるほど、結局何が言いたかったのか良く分かりませんが、これからも無職ランナーとして走り続けるということですね。

中川 いやそれは違います。

―え?

中川 就職活動はしています。

―今いったことと矛盾しているではないですか。勤め人になるというのは、マラソンに対する冒涜なのでは。

中川 いや実際働かないと食っていかれないし。そもそも無職でマラソンとか現実的じゃないし、プロにしろセミプロにしろある程度企業のバックアップがなきゃやっていかれないでしょう、正味の話。

―・・・・結局あなたは何が言いたいのですか。

中川 いや別に。HPを更新しなきゃいけないけどコンテンツが不足していたから、長文で何とかごまかせないかなぁってね。

―なるほど。有意義なお話誠にありがとうございました。それでは最後に今後の予定は。

中川 この後丸ビル内にあるインテリジェンスに行きます。

―いや、マラソン倶楽部としての今後の活動内容についてお願いします。

中川 いやそんなことはどうでもいいのです。私は一日も早く就職したいのです。マラソンなんて二の次です。無職でランナーなんて笑い話にもなりません。哀し過ぎます。今はとにかくインテリジェンスに通う日々です。有能なエージェントが必ずや私の転職先を探してくれることでしょう。

―なるほど、分かりました。今日はお忙しい中インタビューにお応えいただきまして誠にありがとうございました。今後とも中川氏ならびに横濱競走倶楽部の発展を切に祈ります。

中川 いや、それはいいから早く転職が決まるように祈っていてください。

2007-10-29 横濱競走倶楽部、あつぎマラソンに出場

横濱競走倶楽部の中川、須藤両選手は、10月28日(日)に行われた「2007あつぎマラソン(天気:晴れ、気温:23.5、湿度:58%)」に出場し、見事完走した。記録は、中川選手が1時間44分57秒(総合順位343位/743人、種目順位44位/95人)、須藤選手が1時間51分51秒(同457位/同、同53位同)。中川選手は自己記録を20分以上上回る快記録だった。すごかった。

レース当日、両選手は7:30にスタート場所の厚木市荻野運動公園に到着した。その後スタート時間の10:00まで、着替え、ストレッチ、放尿、軽いランニング、脱糞、おしゃべり、放屁、サロチールの塗擦など入念な準備を行いレースに備えた。

10:00にスターターがピストルを鳴らし、出場743人が一斉に駆け出した。まず最初に抜け出したのは今大会屈指の好選手であるA選手だった。その後B選手、C選手、D選手・・・・・と続き、須藤選手、中川選手が続いた。中川氏はレース後、「スタート前からE選手の調子のよさが窺えた。またJ、M、R選手たちもいつになく良いコンディションのように見えた。おそらくどいつもこいつもドーピングかそれに類するものを使用していたのだろう。プライドをかなぐり捨てて」と冷静に分析した。

第一関門(8km地点/制限時間はスタートから58分後)の通過タイムは、先頭集団に続き、須藤選手が38分、中川選手が39分だった。この第一関門までは多くの選手が制限時間内に通過した(と思う)。

第二関門(14kn地点/同75分)の通過順位は、P選手、G選手、L選手・・・・須藤選手(69分)、中川選手(70分)となり、横濱競走倶楽部の両選手は「結構ぎりぎりだった」(須藤選手)。

この第二関門では多数のランナーがふるいにかけられ、脱落した(と思う)。

優勝したのはV選手。その後数分遅れて中川選手、続いて須藤選手がフィニッシュした。

レース後須藤選手は、「レース前から腹痛がひどかった。また、気温が非常に高くて脱水症状にも陥った。今後は、コンディション作りと暑さ対策をきちんとして、挑戦者として中川代表に挑みたい」と語った。

自己記録を大幅に更新した中川選手は「3戦目にして初めて須藤選手に勝てた。とてもうれしい。100分を切ることはできなかったが、記録には満足している」と得意な表情でコメントした。

しかし、マラソンの神は中川氏に微笑みましたね、という質問が飛んだ矢先、中川選手は激昂しその質問をした記者のほうを睨みつけ、「いやこれが俺の本当の実力だ。練習の成果だ、俺は誰の力も借りてねぇ」と述べ、「もし制限時間(約100分)内に完走できたとしたら、それはマラソンの神のおかげ」というレース前のコメントをなかったことにした。記者が「マラソンの世界に神は存在したのですか」と問いかけると、中川氏は「え? わかんねぇよそんな難しいこと聞かれても」とそっけなく返答した。

レース後、都筑区内の焼肉店「でん」において打ち上げが行われた。

打ち上げには、両選手に加え、相談役の木下氏、顧問の井谷氏が参加し、和やかな雰囲気の中歓談・会食が行われた。

なお、横濱競走倶楽部の中川代表、川内副代表、須藤強化部長は、11月28日(日)に行われる「第32回河口湖日刊スポーツマラソン」に出場する予定となっている。

2007-03-04 横濱競走倶楽部、三浦国際市民マラソンに出場

「第25回三浦国際市民マラソン」が3月4日(日)、神奈川県三浦市の三浦海岸で開催された。横濱競走倶楽部の三氏は見事全員が完走した。記録は、須藤強化委員長が1時間55分ぐらい(1832位/3781名)、中川代表が2時間7分ぐらい(2956位/同)、川内副代表が2時間15分ぐらい(3497位/同)だった。

25回目を迎えた今回は、過去最大規模12000名のランナーが参加した。このうちハーフマラソン部門は5200名位(完走者は多分3781名)が参加した。10km部門、5km部門の参加者数は不明。

当日は、3月初旬の気候とは思えないほど、気温が上がった。主催者発表によると、気温は12度、湿度80%。しかし実際にはこれよりもかなり高い気温だったのではないかと、参加者は話しており、横濱競走倶楽部の川内氏は「25度はあった」と適当なことを言った。

ハーフ部門のスタート時刻は午前9:37

横濱競走倶楽部の須藤氏、川内氏、中川氏の3名はロケットダッシュを試みようとしたが、スタート地点はアホみたいなランナーがうじゃうじゃおり、結局ダラダラとしたスタートを切ることになった。3名の中から、まずはエースの須藤氏が飛び出した。他の2名は須藤氏が足の爪に怪我を負っていることを知っていたため、「途中で脚を引きずっていたら、罵声を浴びせてやろう」と話していたが、結局そのような機会は訪れなかった。

三浦のコースは、平坦な海岸沿いを走る部分は比較的少ない。大半は大根畑が広がる田園丘陵地帯を走るため、起伏が多く体力の足りないランナーや精神が薄弱なランナーはレース序盤でかなり消耗する。

今大会のハーフ参加者は5200人位だったが、最終的に制限時間内(2時間20分)に完走できたのは3781人位だった(多分)。このことから、人が5000人集まれば、そのうちの1000人ぐらいは自分を過大評価する自惚れ屋であるということがわかる。

今大会は、横濱競走倶楽部の三氏が昨年11月に出場した「河口湖マラソン」よりも過酷なレースだった。起伏が多く、道幅が狭いため走りにくかったことに加え、給水給食ポイントが少なかったことも、レースを難しくした。さらに、レース中の最高気温は15度以上あったと思われ、それがランナーの体力を消耗させた。須藤強化委員長はレース後「日差しが強くて肌が焼けちゃったわ」とオカマ調に話した、というのは嘘。

往路・復路ともに坂道が多かったが、特に終盤の長く傾斜がキツイ坂道が続く箇所は消耗したランナーにとっては過酷だった。その頃になると大半のランナーはどこかしら体に怪我を負っていたり痛みに耐えながら走ることになる。須藤氏は腹痛、脚痛、中川氏は股ずれ、膝痛を感じていた。川内氏は前回に続き脚をつった。

「城ヶ崎の折り返し地点あたりから腹も脚も痛くなった。正直リタイアも考えた。レースの過酷さは河口湖の比じゃなかった」(須藤氏)

「股ずれがひどかった。ズボンの中に何度か手を入れようとしたが、羞恥心があったためそれは止した。途中から膝痛も襲ってきたため、股ずれのほうに意識が行かなくなったが、次レースではパンツ選びから気をつけたい」(中川氏)

「前回同様脚をつった。つった瞬間、もう引退しようと思った。しかし何とか歯を食いしばり最後まで走りきれた。とてもきつかった」(川内氏)

スタートから1時間55分で須藤氏がフィニッシュし、その10分後に中川氏、そしてその10分後に川内氏が無事ゴールした。

レース後には、河口湖マラソンと同様に豚汁が振舞われると思っていた中川氏は、それが用意されていないことを知り激昂した。大会主催者を呼び出し、なぜ豚汁がないのか、マラソン後に豚汁を食べることを楽しみにしているランナーがどれだけ沢山いるかわかっているのか、用意されていないことに落胆したランナーがどんな気持ちか考えてみたことはあるのかと詰問したかといえばそれはしなかった。レース後はアミノバリューを飲んで、すぐに着替え場所である地元の小学校に戻った。

その後、みなとみらいの「万葉倶楽部」で疲れた身体を休め、関内の焼肉屋で歓談会食をおこなった。会食の場には横濱競走倶楽部・相談役の木下氏も出席し、ランナーの労をねぎらった。

席上、酔った中川氏が須藤氏に対して「強化委員長の任に就きながら、他の2選手(中川、川内)の強化育成を放棄して自分だけいい記録を出すとは何事だ。それは倶楽部と所属選手に対する背任行為だ」と不満をぶちまけた。また中川氏は川内氏にも矛先を向けた。川内氏が練習をほとんどしないでレースに臨み、2大会連続で脚をつりその状態でも立派に完走したことに対して怒りを露にした。

「練習しないでレースに出場するその姿勢は評価するが、脚をつったのならなぜすぐに棄権しない? 頑張って何になる? 脚を怪我したのならすぐにランナー収容車に乗り込めよ。危ないだろ。大きな怪我を負って歩けなくなったらどうすんだよ。好天気の三浦海岸をさわやかな汗を滴らせながら苦しくも長い道のりを鍛え上げた肉体と磨き上げた精神力で完走することがそんなに美しいのかよ!」と川内氏に詰め寄り、胸倉を掴んだ。

そのようなこともあり酒宴はしらけきったムードになり、須藤氏は「中川にはうんざりだ。反吐が出るね」と述べ、店の奥に消えていった。川内氏は「中川のハラワタ切り裂いて七輪で焼いたろか、ボケ!食いきれないほどホルモン焼いたろか!」とわめいた。

締めの挨拶は相談役の木下氏が行い、「じゃ、おつかれ」と述べた。

2007-02-23 横濱競走倶楽部、中川氏がコメントを発表

横濱競走倶楽部の中川氏はこのほど、3月4日(日)に行われる「三浦国際市民マラソン」に向けて、意気込みを語った。同氏はその中で、現在過酷なトレーニングを積み、レース当日までに5kgの減量を行うつもりだと話した。

先週末に行われた「第49回合同自主トレーニング」において、同氏は数ヶ月ぶりに体重計に乗った。そのときに記録した数値は、同氏のこれまでの人生で最も重いものであった。同氏は「少なからぬショックを受けた」とこのときの出来事を語った。

コメントは以下の通り。

「私は小さい頃から高校生ぐらいまで、とても痩せていた。近所でも評判のやせっぽっちだった。『2丁目のあのもやしっ子』で、大体の人がああ中川さん所のあの子ネと思い当たるほど有名だった。しかし高校に入りそれまで続けていたサッカーを辞めてしまった。この頃から少しずつ脂肪が蓄積されていった。

22歳ぐらいのときに会社の健康診断を受けた。その時の体重は60kgぐらいだったと思う。正直この数値でも少し高いぐらいだと思った。というのも、私は先ほど来申し上げているように、生粋の“ガリ”だったわけで、自分のベストウェイトは57kgだと思っていた。

しかし、身長175cmで体重60kgは世間一般では“ふつう”か“やや痩せ気味”といった感じでそのときもそこまでは気にならなかった。

その後数年はあまり体重を測る機会もなく、自分はずっと175cmで60kgの男だと思っていた。それが今回の「合同トレ」時の体重測定で65kgという驚愕すべき数値が出てしまい、心底落ち込んだ。その数値がでてからしばらくは誰とも口を聞けなかった。

その後私はいつまでも落ち込んではいられないと思い、2週間後に迫った『三浦国際市民マラソン』までに60kgまで減量することを神に誓った。

合同トレの2日後から私はスポーツ施設のトレーニングルームに通いつめている。毎日といってもまだ2回しか行ってないが、マシーントレーニングで大量の汗をかいている。確実に体重は落ちているはずだ。ただ、これだけでは2週間という短期間の間に65kgを60kgに減量することはできない。そこでマシーントレーニングに加えて、食事制限も始めた。朝・昼は普通に食べる。朝はトースト。昼はそば・うどん。そば・うどんを食べるときはなるべく脂っこいものを注文しない。わかめそばがベストだろう。そして夜飯。ここ数日夜飯はかなり低カロリーだ。納豆、豆腐、りんごのみ。やってみてわかったのだが、これはそう大変なことではない。納豆、豆腐、りんごだけでも空腹はまぎれる。今まで、フライや米飯や肉野菜定食やラーメンなどを食べてきたのが馬鹿みたいに感じる。大体食費からして、節約できるのが良い。

このようにして、私は現在減量を行っており、レース前日までこれは続ける。ここでいいたいことが1つある。もし来週の『三浦国際市民マラソン』で私が、S氏、K氏に負けたとしたら、それは減量に失敗したということで決して力が劣っていたというわけではない。その辺を両氏にはきっちりと理解してもらいたい。万一レースで私に勝ったとしてもそれは“本当の勝利ではない”ということをここではっきり述べておく」

2007-02-19 横濱競走倶楽部、合同トレを開催

横濱競走倶楽部は18日、市内で「第29回合同自主トレーニング」を開催した。

当日は、中川代表、須藤氏、川内氏が参加した。

今回のトレーニングは、中川氏たっての希望により、スポーツセンターのトレーニングルームで行われた。練習メニューは、@ランニングマシン20分×2Aエアロバイク20分×2など。

3月4日に行われる「三浦国際市民マラソン(ハーフ)」まで残り2週間となったこの日のトレーニングでは、須藤氏の仕上がりの良さが際立っていた。足の親指に怪我を負っているものの「三浦では1時間50分ぐらいを目標タイムに設定している」と強気のコメントを述べた。一方、代表の中川、川内両氏はコンディションの悪さが目立った。トレーニング終了後の体重測定では、須藤氏が61kg(ライト級)、中川氏が65kg(ウェルター級)、川内氏が70kg(ミドル級)で、中川、川内両氏の体重超過が懸念された。これについて、倶楽部の強化を担当している須藤氏は得意の英語で、「You are the “fat boys”.」と罵った。

トレーニング終了後、緑区内の和民で「第31回決起集会」が開催された。

アルコールが入った三氏は、再来週の三浦マラソンに向けて侃侃諤諤(かんかんがくがく)と意見をたたかわせた。その中で、強化担当の須藤氏は「今回のコースは、起伏が激しいので、これまでに経験したことのない過酷なレースとなるだろう」と述べ、中川氏は「前半はあまり無理をせず、後半まで体力を温存するのがいいのでは?」と戦略を述べ、川内氏は「ごろんごろんキウイ2つ!」とお気に入りのカクテルを注文した。

締めの挨拶で中川氏は、今回も、チーム最下位のものが最上位のものにゴハンを奢ることを発表した。また自身については「もし今回最下位になったらマラソンを引退する」と述べた。

2007-02-13 横濱競走倶楽部、合同自主トレ&決起集会を開催へ

横濱競走倶楽部は、第27回合同トレーニングを2月18日に中山で開催する。

当日は、中川、須藤、川内の三氏が出席する。

トレーニング内容は未定。

なお、トレーニング終了後に、区内で「第19回決起集会」を開催し、三浦国際市民マラソンの傾向と対策を話し合う予定。

2007-02-07 横濱競走倶楽部、合同自主トレを開催

横濱競走倶楽部は4日、合同自主トレーニングを開催した。

練習内容は1周=348bのコースを15周走るというもので、須藤氏は余裕で完走したものの、川内氏はショートカットをする等インチキをし、N氏は途中ダラダラ歩くといった惨憺たる結果に終わった。

この結果を受けて、同倶楽部の強化部長である須藤氏は「私以外の2名は、来月の三浦国際市民マラソンで制限時間(2時間20分)を切ることは難しいだろう。大会まであと1ヶ月あるので、危機感をもって体力づくりに励んでほしい」と述べた。

また須藤氏に続き2番目の記録でゴールした川内副代表は「須藤氏とはストライドが違いすぎるが、やりようによっては彼よりもいい記録を出すことは可能だ。本番までにコースを丹念に調べ、ショートカットできるところは積極的にショートカットしていきたい」とレースへの意気込みを語った。

3人中3番目の記録に終わった中川代表は「河口湖マラソン以来、ほとんど練習ができていない。また年末から年始にかけて暴飲暴食しウェイトが増えてしまったことも気がかりだ。ただ、大会まではあと1ヶ月あるので、法に触れない範囲でのドーピング使用などを視野に入れて万全の状態でレースに臨みたい」と述べた。

2007-01-29 薬物使用疑惑は捏造

横濱競走倶楽部の中川代表は29日、都内のクラブハウスで会見を行った。

同氏は会見で、「S氏(横濱競走倶楽部強化部長)の薬物使用疑惑はぜんぶ嘘だった」と述べ、一部週刊誌で報道された中川氏陰謀説を認めた。

また、K氏(同副代表)はこの件に全く関知していないことも判明した。

会見では、陰謀を企んだ理由など詳細については一切コメントしなかった。

会見開始から1分後に席を立った中川氏は、記者団から「S氏、K氏に対して謝罪はないのですか」と問われ「これは謝って済む問題ではないので謝罪は一切しない」と独特の論理で謝罪の必要性を否定した。

2007-01-26 S氏に禁止薬物使用疑惑

横濱競走倶楽部の中川代表はこのほど、世界反ドーピング機関(WADA)が提唱するアンチ・ドーピング活動に賛同し、倶楽部内に蔓延しつつある薬物の排除を断行すると発表した。

緊急記者会見は都内のクラブハウスで行われた。同氏はその中で、具体名は出さなかったが同倶楽部所属のS氏がドーピングを使用しているとの告発が別のメンバーからあったことを明かした。

「ドーピング疑惑が表面化したのは、昨年11月に行われた河口湖マラソンのときだ。他のメンバーに比べ、S氏の記録は格段に良かった。それ以降、S氏が禁止薬物を使用しているといった疑惑が倶楽部内で囁かれだした」と中川氏は記者団に語った。

薬物使用の確証はあるのかといった質問に関して、同氏は「メンバーのK氏が証拠を掴んでいる。S氏が使用しているとされているのは日本では入手困難な薬物だ。S氏はこれを国内のあるブローカーから購入している。そのブローカーとS氏はメールでやり取りしており、そのメールをK氏が入手した」と述べた。

出席した記者団には証拠であるメールは公開されなかった。これに関して同氏は「今週中にWADAに告発する。その後WADAの職員がS氏の血液検査などを行い、おそらくS氏の体内から禁止薬物の反応が出るだろう。もし禁止薬物が検出されなくても裁判の過程で、ブローカーとS氏のつながりやこれまでの使用歴が明るみに出るだろう。K氏が入手したメールは証拠物件として提出する予定だ」と述べ、この問題の解決を司法に委ねる考えを明らかにした。

2007-01-23 横濱競走倶楽部、第4回合同自主トレを開催へ

横濱競走倶楽部は、2月4日(14:30〜17:30)に緑区内のスポーツセンターにおいて「第4回合同自主トレ」を開催すると発表した。

今回の合同自主トレは強化部長の須藤氏が提案したもので、1月23日現在、須藤中川川内氏の参加が決定している。

トレーニング内容(予定)は次のとおり。

@ランニングマシーン×2

Aエアロバイク×2

B階段×1

各20分ずつ

C腹筋、ダンベル

なお、合同自主トレ終了後、「第3回幹部会」が緑区内で開催される予定。

2007-01-04 横濱競走倶楽部、賀詞交換会を開催

横濱競走倶楽部は2日、ユーランドにおいて賀詞交換会を開催した。

開会の挨拶は代表の中川氏が行った。同氏はその中で「2006年は激動の一年だった。(前倶楽部の)綾瀬アスリート倶楽部では河口湖マラソンに出場したもののあまりいい結果が得られなかった。その後、チームを解散し新たに横濱競走倶楽部を結成した。今年は3月に横濱競走倶楽部として初めてのレースである『三浦市民国際マラソン』に出場する。このレースでは選手一人ひとりがランナーとして一皮向けるような走りを見せてほしい。またその後ハーフ程度を一レース、冬にはフルマラソンを走る予定だ。どのレースに出場するかは未定だがこのフルマラソンが私たちの倶楽部としての集大成となる。そこで全選手が華麗に散ることになるだろう」と述べた。

その後県内のバイキングレストランに場所を移した。

乾杯の挨拶を川内代表代行が、中締めの挨拶を須藤強化部長がそれぞれ行った。その後は和やかな雰囲気の中で歓談会食が行われた。

2006-12-29 横濱競走倶楽部、1月2日に賀詞交換会を開催へ

横濱競走倶楽部は、このほど来年1月2日に「賀詞交換会」を開催すると発表した。

参加者は、中川代表、川内代表代行、須藤強化部長の計3名。

開催場所、時間など詳細は本日中(12月29日)に決定する。

2006-12-22 横濱競走倶楽部、「三浦国際市民マラソン」出場へ

横濱競走倶楽部は21日、臨時幹部会を開き、2007年3月4日(日)に開催される「三浦国際市民マラソン」に全メンバーが参加することを決定した。

同大会は、5キロ、10キロ、ハーフの3種目で行われ、横濱競走倶楽部の三氏(中川須藤川内)はハーフマラソンに出場する。

同大会の詳細は下記の通り

■ 日程:2007年3月4日(日)

■ 会場:三浦海岸交差点前砂浜

■ スタート時間(ハーフ):9:37

■ 制限時間:2時間20分

■ 参加賞:特製Tシャツと三浦の大根

また、同大会はJALホノルルマラソンと姉妹レースになっていることから、完走者の中から2名を、平成19年12月開催の「第35回JALホノルルマラソン」に派遣する予定。

(※10kmレース完走者の中から1名、ハーフマラソン完走者から2名を抽選で。)

2006-12-21 横濱競走倶楽部、中川氏がキャンプ不参加

横濱競走倶楽部はこのほど、年末年始に行う「南国キャンプ」に代表の中川氏は参加しない、と発表した。

同氏によると@お金がないAパスポートの有効期限が切れていたなどが主な理由だとしている。

これにより、同キャンプには中川氏以外の2名が参加することになる。

2006-12-12 中川氏、新倶楽部を設立へ

横濱競走倶楽部の中川代表はこのほど、横浜市内で木下氏と会談し、登山やピクニックを主な活動内容とする倶楽部を年内に設立すると発表した。

中川氏は、自身2つ目のマラソン倶楽部である「横濱競走倶楽部」を今月5日に設立したばかり。木下氏は中川氏の高校時代の学友。

今回設立する新しい倶楽部の名前は未定だが、登山、ピクニック、ハイキング、散歩、野遊びなどを主な活動内容とする方針。

昨日、都内で新倶楽部設立説明会が開かれた。その中で中川氏は「今回の倶楽部設立に関しては木下氏から話を持ちかけられた。木下氏は定期的に山に登っているようだ。定期的といっても2年に一度といったレベルだが。私も前々から登山には興味を持っていた。だから木下氏の提案には二つ返事で応えた。私が代表を、木下氏が副代表を務めることになるだろう」と語った。

続けて、倶楽部設立に至った背景について、「横濱競走倶楽部」での活動に限界があることに触れ説明した。「普通、ランナーは3つのものと戦いながらレースを走っている。それはすなわち、自分、他者、自然だ。それに打ち勝つことで初めて勝利を収めることができる。ランナーは自己を律しトレーニングに励み節制し万全の状態でレースに臨めるように日々鍛錬する。レース中は、自分の能力を最大限に発揮し、自己記録を更新すべく、体力・精神力の限界を超えて走らなければならない。足が痛い、腹が痛いなどといって途中でレースを諦めることは自分に負けることである。また自己の持っている能力をフルに発揮せず、力をセーブしながら走ることは、自分の限界に挑戦することを放棄した負け犬といえるだろう。また大会に出るということは、必ず自分以外のランナーが走っているということであり、ランナーはたとえ力の差が歴然としていたとしても、果敢に勝負を挑まなければならない。友人知人と一緒にレースに出て、もしもその人間に負けた場合、敗者は小さからぬ敗北感を味わうことになるだろう。

 さらに、ランナーは天候など自然現象とも戦わなければならない。気温、天気、湿度などはランナーにとって重要な要素であり、極寒の中でのレースや高温多湿の中でのレースは時としてランナーの生命を脅かすこともある。

このようにマラソンという競技は様々なものと戦わなければならない。私は最近このことに小さな疑問を持ち始めている。特に自然との闘いという部分に大きな違和感を感じる。つまり、日本人は古来、西洋人とは違い、自然を戦うべき、克服べき、征服べき相手とはみなさず共生すべき相手としてみてきたはずだ。そのような日本的な価値観に立って考えた場合、マラソンというのは自己・他者はともかく、自然をも打ち負かすべき対象とみなし、それは我々日本人の本質的な価値観と相反しているのではないか」と述べ、マラソンに対して懐疑的になっていることを明かした。

次に質疑応答が行われた。最初に、今後マラソン活動は休止するのかという問いに対して中川氏は「いや、マラソンは続ける。マラソン大好き」と述べた。それに対して記者が「さっきといっていることが違うじゃないですか」と詰め寄った。中川氏は「(え?)」と、同氏が気に入っている括弧つきの「え?」でお茶を濁した。

別の記者が、西洋文明が自然と対立し、東洋文明が自然と共生する云々の話は、朝日新聞の日曜版に掲載された内容と似ているようだがと述べ、ネタ元が朝日新聞紙上に掲載された宗教学者の中沢氏のインタビュー記事であることが暴露された。それに対して同氏は狼狽し、体を震わせた。記者たちが、「どういうことなんだ」「説明しろ」「思いつきでものをいうな」などと畳み掛けると、同氏は取り乱し「うるせぇ殺すぞ」と述べ続けて「殺んぞ」と叫びながら会場を後にした。会見場に残った木下は「ナカザワシンイチとナカガワ氏の名前は似ている」と言い残し、中川氏の後を追い席を立った。

2006-12-08 横濱競走倶楽部、須藤氏が入部

横濱競走倶楽部はこのほど、新メンバーに須藤氏(25)が加わったと発表した。

同氏は、同倶楽部の前身倶楽部である「綾瀬アスリート倶楽部」の元メンバー。

加入に際して同氏は、「当初はこのチームに加わる気はなかった。マラソン人生に、一旦は終止符を打った身だ。前言を撤回してまでマラソンを続ける気にはなれなかった。しかし、自分も中川代表と同じで、先日の福岡マラソンを見ていて、自分が生粋のマラソンマンだと言うことに気付いた。日本選手のふがいなさには癇癪を起こした。日本男子陣のあの体たらくを見て解った。北京に一番近いのは俺かなって」とマラソン復帰と同時に北京五輪を目指すことも明言した。

また同日、同倶楽部の中川代表は、年末年始に「南国キャンプ」を行う予定であることを発表した。

この計画は、須藤氏から提案されたもの。

日程、キャンプ地など詳細は未定。

今週末開かれる予定の「第一回幹部会&新入部選手歓迎会&倶楽部創設記念パーティー&中川氏生誕25周年記念式典」にてキャンプの計画を話し合う予定。

2006-12-05 中川氏、横濱競走倶楽部を設立

先月解散した「綾瀬アスリート倶楽部」の元代表・中川氏がこのほど、新たに「横濱競走倶楽部」を設立した。

同氏は、当時倶楽部に所属していた須藤、川内両氏と共に先月26日に行われた河口湖マラソン大会に出場した。三氏は見事制限時間内に完走した。しかしその後“感情のもつれ”から、中川氏と両氏は袂を分かち、中川氏は両氏を解雇した。倶楽部も同時期に解散し、中川氏はその後行方をくらませていた。

12月5日に行われた「新倶楽部設立報告記者会見」で同氏は、「12月4日に『横濱競走倶楽部』を設立した。今回設立に至った背景には二つの大きな出来事があった。1つ目は先日行われた福岡国際マラソンにおける日本人選手の惨敗とゲブレシラシエの激勝。福岡での日本人選手の不甲斐無さに失望した。このまま日本男子マラソンの凋落を傍観し続けるわけには行かない。私たち市民ランナーが歯止めをかけることができるかもしれない。

ゲブレシラシエの走りには大いに励まされた。昂奮した。私は根っからのマラソンマンだと気付かされた。2つ目は、川内氏の存在だ。今回の倶楽部設立に逡巡していた私の背中を押してくれた。彼には多大な感謝をしている。前倶楽部の時にはいろいろあった。手を出してしまったことはここでお詫びしたい。しかし過ぎ去ったことだ。『横濱競走倶楽部』では川内氏に代表代行としてやってもらう。今後は同じ轍を踏まないよう、お互いを尊重し合ってやっていきたい」と述べた。

その後、年内のスケジュールと2007年上半期のスケジュール(案)を発表した。

それによると、年内は完全フリーで選手は各自で練習を行う。

年が明けた2007年の予定は未だ確定していないが、3月4日(日)の『香港マラソン』に出場すべく現在日程を調整中。

年内に倶楽部設立記念式典&第1回幹部会を開催する予定。

2006-11-30 綾瀬アスリート倶楽部、解散へ

綾瀬アスリート倶楽部の中川代表は30日、自身のホームページ上で、30日付けで同倶楽部を解散する、と発表した。

同氏は、先日の河口湖マラソンで副代表(当時)の須藤氏に敗北したことを受けて代表を辞任するはずだったが、「そんなことは言ってない」と白を切り続けていた。

その後同氏は、強制的に須藤氏、川内氏を退部させた。このことで中川氏は両氏と衝突し、世論も両氏に同情的だった。

当初は意に関せずといった態度をとっていた中川氏だが、30日未明、突然倶楽部の解散を発表した。

中川氏は現在行方不明。

「責任を取るべきだ。でなきゃ出るところに出て白黒つけよう」と不当に退部させられた須藤、川内両氏が今回の件で訴訟も辞さないとほのめかしことに対して、中川氏はひどくおびえていたと同氏に近い関係者が明かした。

今回の解散について須藤、川内両氏はノーコメント。

倶楽部は、年間で最低1レースはマラソンに出場しており、今後も活発に活動を続けていくと思われていたが、結局結成1年目での早期解散となった。

同氏及び同倶楽部は、マラソンファンだけでなく広く一般にその動向を注目されていた。それだけに今回の解散劇は今後更なる波紋を呼びそうだ。

『綾瀬アスリート倶楽部 略年表』

2006年1月  青葉ランニング倶楽部として設立

2006年○月  青葉アスリート倶楽部に名称変更

2006年8月  綾瀬アスリート倶楽部に名称変更

2006年11月  河口湖マラソン(27キロ)に出場 

        記録:須藤氏(約2時間35分)

           中川氏(約2時間55分)

           川内氏(約3時間30分)

2006年11月  須藤副代表(当時)、川内副代表(当時)解雇

2006年11月  解散

2006-11-29 綾瀬アスリート倶楽部、川内、須藤両氏を解雇

綾瀬アスリート倶楽部の中川氏はこのほど、緊急の記者会見を開き、同倶楽部の川内氏、須藤氏を解雇(強制退部)した、と発表した。

会見の席上で、同氏は、「先の河口湖マラソンにおいて、川内氏は倶楽部3位つまり最下位という結果に終わった。また須藤氏に関しては、目標タイムを2時間に設定したものの、それより30分もオーバーした。これらの理由により、両氏を11月29日付けで強制退部処分にした」と語った。

続けて、「倶楽部創設以来、『青葉ランニング倶楽部』『青葉アスリート倶楽部』『綾瀬アスリート倶楽部』と名称を変えてきた。その間に須藤、川内両氏が加入し、当倶楽部の発展に多大な貢献をしてくれた。ずっと一緒にやってきた仲間だけに、今回の処分を下すことは私としても心苦しい部分もある」と苦しい心の内を明かした。しかし、同倶楽部は仲良し集団ではないということを強調し、「倶楽部創世記のメンバーということで、特別扱いをするわけにはいかなかった。今後は両氏の意志を継ぎ、10年、20年と飛躍・発展を遂げて行きたい」と述べた。

その後質疑応答が行われた。記者団の一人が、レース前中川氏は、倶楽部内の誰かに敗北したときは、きっぱりと代表の座を降りると述べていた件に触れて、「責任を取って、代表を辞任する気はないのですか」と質問した。中川氏はこれに対して、「私は辞めない」と言い切った。同氏は続けて、「辞めさせたければ辞めさせてみれば」と憎たらしく答えた。同氏に対して記者団から、馬鹿、アホ、低能、痴れ者、嘘つき、最低、無責任、クズ、卑小、ナイスガイ、ボケ、ナスなど罵声が浴びせらたが、同氏は涼しい顔で会場を後にした。

2006-11-28 綾瀬アスリート倶楽部、河口湖マラソンに出場

綾瀬アスリート倶楽部の中川、須藤、川内の三氏は11月26日(日)、第31回河口湖日刊スポーツマラソン(主催:日刊スポーツ新聞社、富士河口湖町他)に出場し、見事全員完走の快挙を遂げた。

三氏が出場した種目は「河口湖一周男子」(27q)。記録は、須藤氏が2時間35分ぐらい(第300位ぐらい/1656人中)、中川氏が2時間55分ぐらい(第700位ぐらい/同)、川内氏が3時間30分ぐらい(1200位ぐらい/同)だった。

今回でちょうど31回目を向かえた同大会は、総出場者数9850人(フルマラソン=7500人ぐらい、河口湖一周=2300人ぐらい(男子が1656人で女子が680人ぐらい)、ファンラン(11q)=1500人ぐらい)と過去最大の規模で行われた。

また今年は例年以上の豪華ゲスト陣を迎え大会に彩りを添えた。マラソンオリンピックメダリストの有森裕子氏。自転車の先導は今中大介氏。昨年に引き続き「チームミズノアスレチック」の石川、志水、高橋氏の実力派ランナー3名。ムエタイ戦士の武田幸三氏。お天気キャスターの山田玲奈氏。TVなどで活躍中のメロン記念日さん。

前夜祭ではこれら豪華ゲストが、歌や踊りやタイキックを披露したかもしれないが、綾瀬アスリート倶楽部の三氏はその時間、バーミヤンで遅めの昼食を摂っていたため、前夜祭には参加しなかった。

大会前日に現地に入り、富士急ハイランドで各種絶叫マシンに興じた三氏(中川氏は絶叫マシンが苦手なため実際は他の2人だけがはしゃいだ)は、14時に出場者受付を済ませ、その後富士見園に投宿した。富士見園は想像していたより質素な宿であったが、川内氏は「このストイックな雰囲気は私たちの倶楽部にぴったりだ」と述べ、他の2人もそれに同意した。

バーミヤンで遅めの昼食を済ませ、宿に戻り各自受付で配布されたゼッケンを付けた後は、3名そろって風呂に入った。代表の中川氏は湯船につかり、「これで明日のマラソンがなければ最高なのになぁ」と呟き、他の2名はそれに同意しなかった。

夕食は、刺身、鍋、天麩羅などマラソン前夜とは思えないボリューム豊かな献立に、須藤氏が立腹し、宿のオーナーに食って掛りそうになる場面もあった。しかし、その他の泊り客(20人くらい。ほぼ全員ランナー)が文句も言わず食しているので、マラソン前夜はなるべく大量に飯を食らうのが常識なのかなと納得し、三氏はただ黙って鍋を突付いた。

食後は、川内氏が「綾瀬はるかのドラマが観たい観たい」とだだをこねる一幕もあった。しかしそれ以外は概ね平穏なまま、22時には消灯し、全員すぐに寝入った。



マラソン当日の天気は曇りだった。

7:30分。スタート地点の船津浜駐車場は、すでに、有力ランナーが場所取りをしており、綾瀬アスリート倶楽部の3名はスタート地点から100メートルくらい後方からスタートすることになった。

スタート前のセレモニーで、有森氏が紹介され壇上にあがると、ランナーたちから歓声が沸いた。しかし三氏のところからはスタート地点にいる有森さんが見えなかった。

その後お天気キャスターの山田玲奈さんが「今日の天気は曇りです。雨が降るかもしれませんが、午前中は絶対に降りません!!」と力強く宣言し、男性ランナーを中心に野太い歓声が沸いた。

7:45。スタート地点から200メートルぐらい後方にいた三氏は、先頭が走り始めて10分ほど経ってもまだその場で待機していなければならなかった。

隣で川内氏が「中川翔子中川翔子」と呟いてきたが中川氏はそれを無視した。少しずつ歩いて前に進めるようになり、7:55になってやっとスタート地点にたどり着き、そのまま勢いよく走り出した。

スタート直後飛び出したのは、須藤氏だった。そのあとに中川氏、川内氏が続いた。

中川氏は須藤氏に離されまいと必死に後を追った。川内氏は、始めから両氏を追う気がなかった。レース後川内氏は「2人がガス欠になり順位を落としてくるだろうと予測し、最初は自重した」と述べた。

須藤氏を追った中川氏は、走力の差に加え、周りを走るランナーに前を塞がれる形になり、結局スタートからゴールまで須藤氏に追いつくことはなかった。

その後も須藤氏は快調に飛ばし、最後まで歩くことなく2時間35分ぐらいでフィニッシュした。

「きつかった。特に最後の2キロがきつかった。目標の2時間ジャストはやはり難しかった。」「ゴール前で最後の力を振り絞り、オジサンを一人抜いた。ザマーミロといった感じだ。ゴール後にメロン記念日に声を掛けてもらい、感無量だ」(須藤氏)

中川氏は、須藤氏に追いつかなかったものの、2時間55分ぐらいで完走した。

「最後は股関節痛でほとんど歩いているようなスピードだった。しかし一度も歩かず立ち止まらず走りきれたことに満足している。ただ、最後まで自分がなぜ走っているのかわからなかった。マラソン前日、当日の朝、マラソンを走っている最中と今こうして完走した後も、ずっと走ることに疑問を感じていた。走るってある意味シュール」(中川氏)

川内氏は、15キロ付近で足をつった。その後は走りたくても走ることができなかった。結局3時間30分ぐらいで完走した。

「ライオンに追われたウサギが足をつったようなものだ。要するに練習不足だ。足がつって湖畔を歩いているときはひどく悲しくなった。心が折れそうになった。そのままタクシーに乗って宿へ帰ろうかと思った。それでも完走できたのは、収穫といえば収穫だ。しかし、悔しい。いつかリベンジしたい」(川内氏)

ゴール後三氏は、地元のボランティア団体が拵えた豚汁を食した。その席で中川氏は川内氏に対して「一般的には、足がつっても諦めずにマラソンを完走したランナーに対して、他のメンバーは暖かい拍手を贈るだろうが、当倶楽部はそんな仲良し集団ではないし、私はそのような温い友情は全否定する。倶楽部内で最下位だった川内氏に対しては厳正な処分を下すことになる」と話した。

それに対して川内氏は「それなら須藤氏はどうなんだ。目標の2時間には程遠いタイムでゴールしたじゃないか。嘘つきもいい所だ」と怒りの矛先を須藤氏に向けた。

須藤氏は「いや、そもそも中川氏は倶楽部の代表にもかかわらず、倶楽部内でトップの成績を残せなかった。しかもマラソン前日、当日には、「自分は本当はマラソンなんて走りたくない」などとこぼしていた。これは倶楽部の士気を著しく下げた」と中川氏を批判した。

ゴール後の清清しい気持ちなどはすぐに霧散し、三氏を取り巻く雰囲気は最悪のものとなったが、豚汁を食べている間に気まずい雰囲気は霧消し、その後は和やかに談笑した。

レースを終えた綾瀬アスリート倶楽部の三氏は、河口湖から地元へ帰る道中、名物の「ほうとう」を食し、その後温泉に入りマラソンの疲れを癒した。

レース後2日経った11月28日火曜日、本誌の記者が中川代表に電話インタビューを行った。その中で中川氏は、「3人ともマラソン直後に、両足をひどい筋肉痛に襲われた。今は3人ともそれぞれ家で静養している。やはり27キロマラソンは過酷だった。今回のマラソン完走で得たもの?得にありません。走りきったところで、人生観が変わるわけでもないし、なにか人生に厚みが出たというわけでもありません。27キロ走っただけ。それ以外特別な意味はありません」とクールに語った。今後のスケジュールについて尋ねると、「とりあえず、4ヶ月ほど休みます」と答え、「12月から3月は気温が低くて走るのが嫌だからですか?」と尋ねると、中川氏は「そうだ」と述べた。

今後またマラソンを走りますか、という問いに対しては、「走るかもしれないが、基本的には嫌々走ることになるだろう。そもそも何で苦しい思いをして馬鹿みたいに走るのか全然わからない」と話した。

倶楽部全員が無事完走できたということでとりあえずは倶楽部の面目は躍如できた。今後、三氏がどのようなランナー生活を送るかわからないが、本誌は今後も丹念に綾瀬アスリート倶楽部の取材を続け、読者に彼らの活動を伝えて行きたい。

2006-11-12 綾瀬アスリート倶楽部、決起集会を開催

綾瀬アスリート倶楽部は11月12日、青葉区内の「かまどか」において、『決起集会』を開催した。

河口湖マラソンを2週間後に控えた同倶楽部のメンバー3名(中川須藤川内)が出席した。

冒頭、副代表の須藤氏は「今度のレースで中川代表が倶楽部の誰か(須藤・川内)に負けた場合、即刻代表の座から降りるべきだ」と述べた。それに同調するように、「だいたい中川が代表であることに対して最初から不満があった」と副代表の川内氏は積年の恨みをぶちまけた。これに対して中川氏は「分かりました。私は昔から潔く生きるように父から教育を受けてきました」と述べ、河口湖マラソンにおいて倶楽部トップでゴールできなかった場合、代表の座を後進に譲ると明言した。

冒頭から須藤川内両氏に反旗を翻される形となったが、その後は和やかに会食を行った。

席上、今度の河口湖マラソンにおいて、倶楽部内で順位の低かった者がトップでゴールをした者に対して、晩飯を奢ることが決定した。

同決起集会は19時に散会した。

2006-10-02 綾瀬アスリート倶楽部、宿泊先を決定

綾瀬アスリート倶楽部はこのほど、河口湖マラソン参加のため、25日に現地で宿泊する宿を決定し、メンバーに報告したと発表した。

25日に宿泊する宿は「富士見園」。宿泊費は7800円(夕食付)。駐車場完備。マラソンスタート地点(船津浜駐車場)まで徒歩15分。

宿を予約した中川代表は、「2ヶ月前だというのに、目ぼしい宿はすべて予約で一杯だった。予想されていたこととはいえこれほどとは…。河口湖駅近くのビジネスホテルが設備、立地、料金面で人気が高いようだ。電話口に出たビジネスホテルの従業員には、『マラソンの日はもう一杯ですよ。今更電話かけてきたも遅いよ』といった様な対応をされた。ヤフートラベルなど、ネットでも宿を探したが、スタート地点からの距離(徒歩10分くらい)、宿泊費(5000円くらい)などの条件を満たす宿は予約が取れなかった。なんとか、7800円の宿を確保できたが、割高な感じがしてメンバーには申し訳ない気がする」と自分の不甲斐無さを嘆いた。

「とにもかくにも宿は決まった。今後は11月25日、26日のスケジュールを組むため、一度メンバー全員で集まりたい」と述べ、会合を10月上旬に開催すべく、日程調整していくつもりだとした。

2006-09-29 綾瀬アスリート倶楽部、会合開催を延期

綾瀬アスリート倶楽部は、9月30日(土)に横浜で開催される予定だった「新入部選手歓迎会・決起集会」の延期を決定した。

当初、新入部の川内氏を歓迎するため、全メンバー参加のもと、横浜において会合を開催する予定だったが、川内氏が名古屋に出張に行かなくてはならなくなったため、急遽会合を延期し、10月に代替日を設けることとなった。

開催日は、決定次第メンバーに通達されるとのこと。

2006-09-21 綾瀬アスリート倶楽部、川内氏が入部

綾瀬アスリート倶楽部は20日、新メンバーとして、横須賀在住の川内氏(25)が加わったと発表した。

同氏は、副代表の須藤氏の大学時代の学友であり、中川氏とも面識がある。

今回の加入に際しては、須藤氏から強い勧誘があり、その熱意に負けて入部する形となった。川内氏の入部により、同倶楽部のメンバーは総勢3名の大所帯となった。

「最近運動を全くしていないため、かなり太ってしまった。運動といえば、日の出町駅からWINS(場外馬券場)まで歩いて通うくらいで、他には特に何もしていない」(川内氏)

また同日、川内氏も11月26日の河口湖マラソンに参加することが決定した。レースに向けて、「今回のレースでは命を落とさないこと、それだけに注力したい」と、決死の覚悟でレースに臨む意気込みを語った。

倶楽部の中川代表は、「今回のレース参加に向けて、倶楽部の皆に徹底してもらいたい注意点が幾つかあります。すなわち、@前日興奮してよく寝られなかったら、当日は無理せずすぐに事務局に不参加届けを出すAレースまでに体力作りができず、これは完走は無理かなと思ったらレースには参加しないBレースまでにどっかに怪我を負っていたら(骨折、捻挫、打撲、擦り傷、切り傷、口内炎など)すぐに不参加届けを出すCなんだか分からないけどレースのことを考えたらドキドキする場合もこれは良くない前兆だから不参加届けを出すDもし万一レースに参加する場合は、苦しくなったらすぐにリタイアする、どこか痛くなったらすぐリタイアする、湖、草木、空、小鳥などの風景や気温、風、においなどの気候その他が原因で、感傷的な気分になって、「なんか走るの馬鹿らしい」と思い始めたらすぐにリタイアするEレース中死なないFレース後も死なないGレース前は言わずもがな、の計8点です。メンバーには今一度走ることの意味を自分自身に問いかけてほしい」と語った。

 なお、川内氏を交えた全メンバー3人での始めての会合は、9月30日に、横浜で開催される予定。

2006-08-26 綾瀬アスリート倶楽部、幹部会を開催

綾瀬アスリート倶楽部は本日、緑区内のジョナサンで臨時幹部会を開催した。

幹部会には、同倶楽部に所属する全ての会員が参加した。

冒頭の挨拶で代表の中川氏は「本日はお暑い中よく来て下さいました。倶楽部が発足してからはじめての会合となりますが、ここにいる皆さんはすでに面識のあるもの同士なので、今日は忌憚のない意見交換をしましょう」と述べた。

続いて第一議案「下半期スケージュール計画」について話し合いが行われた。

最初に中川氏が候補となっているレースに関する資料を提出し、幹部全員がそれぞれのレースについて良、可、不可の評価を付けた。数十分に及ぶ議論の末、以下のレースに出場することが決定した。

・11月26日開催、河口湖マラソン

臨時幹部会終了後には、歓談・会食が行われた。

会食の席上、同倶楽部の須藤氏は「現在、足の指を怪我していて、ろくに練習ができない」と告白した。また「それでも、中川代表には余裕で勝てるでしょう」と述べ、実質上、中川氏に挑戦状を叩きつける形になり、会場に緊張感が走った。これを受けて中川氏は「確かに現時点では彼のほうが上でしょう。しかしこれから3ヶ月のうちに逆転することは十分可能です。私は彼の3倍も4倍も練習をするつもりですから」と述べた。

中締めの挨拶は、中川氏が行い、「どなたか周りに走ることに興味のある人がいれば、入部を勧めてください。これからは倶楽部の規模拡張も視野に入れていきましょう」と述べた。

次回の会合は9月9日町田にて行われる予定。

2006-08-25 綾瀬アスリート倶楽部、計画を再検討

綾瀬アスリート倶楽部はこのほど、先日発表した計画を翻すコメントを出した。

先日発表した今下期の計画では、10月末までに開催されるレースへは参加せず、11月26日の河口湖マラソンへ参加する方向で調整を進めていた。しかし、同倶楽部代表の中川氏は、河口湖マラソンが開催されるまでにはまだ3ヶ月もあり、それまでモチベーションを維持するのは難しいと述べ、計画の再検討を行うことを表明した。

同氏によると、現段階で候補に挙がっているレースは、以下の7レースであるとした。

@ 第10回高尾山森林走遊学大会さわやか森林マラソン(9月24日)

A 高尾山天狗トレイル2006(10月22日)

B 2006厚木マラソン(10月29日)

C 第6回陣馬山トレイルレース(11月12日)

D 2006多摩川ハーフマラソン(11月19日)

E 第28回丹沢湖マラソン(11月26日)

F 第31回河口湖日刊スポーツマラソン(11月26日)

倶楽部の規則により、レースとレースの間隔は1.5ヶ月以上あけなければならないため、A〜Fのうち、2つ以上のレースには参加できないとしている。それにより、次の幹部会では中川氏側から次の二つの案が提出される見込みとなっている。

【計画案1】@のレースに走った後、C、D、E、Fのいずれかに参加する

【計画案2】A〜Fのうちの1つにだけ参加する。

前述したとおり、11月の中旬、下旬まで参加を先延ばしにすると、同倶楽部の両氏がモチベーションを維持できない恐れがあるため、明日行われる幹部会では、【計画1】を実行できるように話し合いを行いたいとしている。

※ 幹部会日時:8月26日土曜日

※ 場所:ジョナサン

※ 参加者:全幹部

2006-08-23 綾瀬アスリート倶楽部、大会出場を見送り

綾瀬アスリートクラブはこのほど、今秋に出場を予定していたハーフマラソンに関して、条件に合うレースがないため、今年10月までにレースに参加することは難しいというコメントを発表した。

倶楽部代表の中川氏は、出場するレースの条件として以下の6点を挙げていた。

@ 開催地:首都圏+静岡県

A 開催日:9月中旬〜10月までの間

B コース:好景色なコース

C 距離:10q〜21q位(ハーフマラソン程度)

D 大会規模:出場者1000人以上

E 参加賞:Tシャツ以上の品

当初の計画では、9月下旬から10月に開催されるハーフマラソンに出場する予定だったが、上記の条件に合うレースがなかったため、今回の出場を見送ることになった。

中川氏は「まず、メンバーに謝りたい。須藤氏はハーフマラソンに出場することに対して並々ならぬ闘志を燃やしていた。マラソンを走ることが生きることに対する最大のモチベーションになっていたようだ。その様な青年の燃えるような情熱に、冷や水を浴びせるような形になってしまってお詫びのしようがない」と述べ、土下座をした。

また、今後の予定に関しては「11月26日に開催される『第31回河口湖日刊スポーツマラソン』に出場できたらしたいが…」(中川氏)と述べたが、それには臨時幹部会を開き、須藤氏と日程などの面で話し合わなければならないとした。

臨時幹部会は今週末に、緑区某所で開かれる予定。

2006-08-21 綾瀬アスリート倶楽部、新メンバー発表

綾瀬アスリート倶楽部はこのほど、新メンバーとして須藤選手(24)が新たに入部したと発表した。

須藤選手はこれまで、緑区の自宅周辺を主な練習拠点としていたが、個人練習における限界を感じたため、以前から興味を持っていた綾瀬アスリート倶楽部に入部願いを提出し、即日入部が了承された。

同選手の経歴は以下の通り。

高校総体       出場なし

全国高校選手権    出場なし

全国都道府県対抗駅伝 出場なし

日本インカレ     出場なし

※その他(ハーフ)マラソンの出場経験は一切ない

2006-08-18 倶楽部名を変更
青葉アスリート倶楽部はこのほど、代表者の居住地移転に伴い、倶楽部名を「綾瀬アスリート倶楽部」に変更した。

青葉アスリート倶楽部は、「健康で文化的な人間になるためには、なによりも足腰を鍛えることが重要である」という理念のもと、平成17年10月に神奈川県横浜市青葉区で結成された。

現在、日本における市民ランナーの数は、1200万人といわれている。ランナーの年齢層を見てみると、10代が15%、20代が29%、30代が26%、40代が17%、50代以上が13%となっている(中川調べ)。各年代で平均的に競技者がおり、老若男女を問わず、気軽に始められるスポーツとして、年々愛好者が増加している。また昨今の健康ブームも、競技者増加の要因の一つに挙げられる。テレビ、新聞、雑誌、インターネットなど各種メディアにおける、健康への過剰ともいえる宣伝が、人々の不健康への不安を誘い、各種健康食品の過剰摂取、ヨガやスポーツクラブへの入会などを促進しているといった指摘が専門家からなされている。

このような社会環境において、同倶楽部の創立者であり代表者と同時にエースランナーでもある中川氏は、「走ることは必ずしも良いこととは限らない。逆に、慣れない人間がマラソンなどの長距離走を走る場合、身体に少なからず悪影響を及ぼす。レースで脚を酷使しすぎて、日常生活に支障を来たすこともある。それが、市民ランナーにとって有益なはずがない。また、辛いトレーニングを積んで臨んだ42キロを完走する事が精神の鍛錬になり、その後の生活にプラスになるといった考え方も賛成できない。そのような、苦行の果てに辿り着いた場所で、何か特別なものを得たような錯覚に陥らせるのは、似非宗教の常套手段であり、物事を特殊化しすぎている。マラソンを完走したからといって何かを獲得できると思ったら大間違いだ」と語り、美容と健康のためのマラソンに関しては、「適度なランニングは、確かに美容と健康に少なからず良い影響を与えるかもしれない。しかし、人間というものは、表層的、一面的な部分だけを見て、満足・充足していてはいけない。健康体を獲得したからといって、満足するのではなく、その身体、精神を獲得した後、何をなすかが重要である。私はその健康体を獲得したあかつきには、今以上の長時間の立ち読みをする、あるいは、会社には定時に出社する、また、同僚には必ず挨拶をする、送られてきたメールにはすぐに返信するといったことを実現したい」と述べた。また、世の中の働けないニートに関しても言及し、「働けないのは自分に必要なだけの足腰がないからだ」と述べ、同倶楽部はその様な人たちにも門戸を開いていることを強調した。

最後に、今後の目標としては年内にハーフマラソンを走ることを挙げた。同氏にとっての初マラソンである。

2006-01-08 中川氏、青葉ランニング倶楽部を設立

「青葉ランニング倶楽部」を設立しました。

メンバーは私とコーチとトレーナーと栄養士とランニングパートナーの計1名です。

来年のボストンマラソンに照準を当ててトレーニングをしています。

レースでは順位を気にせず楽しんで走りたいと思います。

ですが最低限の目標として自己最高タイムは記録したいと思います。

これはかなりの確率で達成できそうです。

なにしろ持ちタイムがないので完走すれば即自己新なわけでなんともお得な話です。

とにかく今はひたすらに走りこんでいます。

応援よろしくお願いします。

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